あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

20.8.2020

この間、夏休みに入ったかと思えば、
あっという間に、葉月も下旬
これで大体夏休みの三分の一が過ぎたわけだけど、
どうも、そういった実感がない

 

一つは、相も変わらず外出は自主ムードであること
もう一つは、実際のところ状況は帰国した三月末から、
ほとんど何も変わっていない、ということ

 

8月2日に、
「ああ、去年日本を出た日だな」と思ったり、
「通常通り行ったとしても、そろそろ帰ってきている頃だな」
などと思ったのだけれど

 

 

 

この間、同じくドイツ留学をしていた友人と、
Zoomで深夜まで話に花を咲かせていたとき、彼女が

 

「最初の語学学校だけ行ってきて、帰ってくるのと、

今の状況、どっちの方がマシだと思う」

 

と、問いかけてきたので、
私は迷わず「今」と答えたのだけれど、
彼女の答えは違った

 

「ドイツに行って、何ができるのか知らなかった方が、
私は幸せだったと思う」


彼女は帰国してからもドイツの授業を必死に取り続け、
今もHausarbeitの提出に向けて課題と奮闘中
帰ってきてから就職先もきっちり決めて
今は、ドイツ語をどう受け止めていくのか、なやんでいる

 

ぶっちゃけ、日本で、
ドイツ語が実用できる機会は、ほとほと少ない
そして私とその友人の共通点は、
英語が全く完全ではないということ

 

英語が使えなければ、
実質的にドイツ語を生かした仕事はすることができない
英語が使えるのは、ヨーロッパの中ではすでに常識であり、前提条件だから
そもそもドイツの企業が取引をしている相手は、
EU諸国をはじめとした、非ドイツ語圏なのだから、
英語ができないのでは、全くお話にならない

 

だから、ドイツ語はもう脇に置いて、
英語に注力しようかな、と
冷静で、至極当然の判断

 

それを私たちは、簡単に下すことができない

 

そのテーマを話しているうちに、
彼女と私の性格の違いが浮き彫りになる

 

彼女は、かなり計画的で、かつ、
計画を立てたらそれをきっちりとこなしたいタイプ

 

そんな性格の彼女にとって、期間の半分しかドイツにいられなかったことは、
かなり痛手だと思うし、
計画を変更するなら、まさに今、なのだろうけど

 

反対に私は、
計画性もなく、考え方もとっ散らかっているし、
今あるものでどうにか乗り越えようと奮闘するタイプ

 

そして、意外と私は、
一学期分、留学がなくなってしまったことに対して、
全くと言っていいほど、ショックを受けていない自分に、今更気づいた

 

私が就職するのは、おそらく2022年の4月だし、
計画は、そこまで大崩れしていない、というのもあるかもしれない
みんなと違って、あと、一年半以上もある
だからこその余裕、かもしれないけれど

 

 

 

帰ってきてから、私はほぼ毎日、
英語とドイツ語の勉強は怠らず、
いちいち数えてないし、効率性はわからないけど、
2時間程度は使ってきた

 

それって、今までの自分からしたら、ありえないことだ
あの語学嫌いで、毎日コツコツ頑張れない子だった、私が

 

あまり、伸び具合は意識していなかったけど、結果は歴然

 

確か、今年の初めに測った英語の語彙力が、
3000wordsレベル(あまりに酷い)だったのが、
昨日測ったところでは、7000wordsに増えていた

 

今日、久しぶりに放置していた論文の文献読み込みを始めたのだけれど、
ドイツ語でも英語でも、さほど読むのに苦労はなかった

 

 

 

この脇で、ちまちま論文の文献を集めて、
ああでもこうでもない、とテーマを考え続けたり、
授業をなんだかんだ真面目に受けたり、
就活を適当に進めたり、
爆速で読書やインプットを進めたり

 

だらだら、ソファーの上に寝っ転がっている時間や、
四度寝、五度寝している時間はもったいなかったかもしれない、
散々自分のことを責めたりもしたけれど、
あれも、もう脳が働くような状態じゃなかったんだと思う

 

多分、この四ヶ月と半分、留学できなかったこの期間も
私は今までにないほど、自分の力だけで自分を追い込んで、
やるべきことはそこそこ、積み上げてきたんだよ、多分

 

マキャベリ君主論にて、
フォルトゥナを変えることはできなくても、
半分は支配可能である、そう説いた

留学が終わってしまったのは、“仕方のないこと”で
でも私の人生がそれでめちゃくちゃになるかといえば、それは原因になりえない

 

はるかに重要なのは、次になにを選択するか
私の意志の力だと、信じている