あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

15.11.2019

 

なんとなくここに戻ってくる気が無くなっていて、
前回の更新日から一週間以上経っていることに、驚きを隠せない

 

それだけ、月日が過ぎるのは異常に早くて、
でも、私自身はその早さに追いつけずにいる

 

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そして、黄金の秋も、間も無く終わってしまうのだろうな

 

生理前後だったことで不安定だったのもあるけれど、
なんだか、夢のような、
それも、一種の悪夢のような

 

土曜日は、なんとなく買った梅酒を隣人の香港ガールと飲んでいて、
彼女が退散した後に、木曜日の彼から何かの連絡が来て、
今何してんの、と聞かれて、一人で飲んでる、って言ったら
どうして誘ってくれなかったの!と言われる

 

その時には既に22時近かったのだけれど、
電話?うちくる?と聞かれて

 

電話は苦手だし、直接会っていた方が絶対に意思疎通しやすいから
ノリで彼のお宅にお邪魔することに

 

途中フラットメイトのドイツ人も混じったりして、
馬鹿みたいな話、小難しい話、色々したのだけれど、
気づけば時刻は午前3時40分で

 

帰るタイミングを逃したのはあるけれど、
ちょっと長居しすぎて、申し訳なかったな

 

超楽しかったから、またすぐ飲みたい!
と言ってくれたのは良かったのだけれども

 

そんなわけであくる日の日曜日はひたすら家にこもって、
授業の復習

 

月曜日は引きづるように大学へ出て、
緊張しながら、中世学の補講と、ドイツ語
今思えば、この補講でKlausurの話が出たところらへんから、
メンタルがやられているのかも

 

本当に、どうしようね
試験を受けるか、受けないか
決めるのは1月でいいのだけれども

 

課題は出ていない、
ただ聞いているだけなら、聴講と同じだ

 

その授業を理解するためだけに、
私がどれだけの時間を割いて家で復習しているか
試験を受けて、示さなくてもいいものだろうか

 

すごく、自分が宙ぶらりんなことをしているように思えて

 

しかも、ドイツ語の授業は、
今週もよく分からなかった上に、
人数が少なかったせいで、緊張感がすごかった

 

分かっているのか、分かっていないのか
それすら分からない状態というのが、
一番精神衛生に良くない

 

でもそれが今、
毎授業、それから人間関係でも、
繰り返されているわけで

 

火曜日のフィンランド語は、唯一の癒しだけれど、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、
復習が追いつかなくなっていく予感

 

全く知らない言語を学ぶって、こんなだったかな
ドイツ語の時も、こんな気持ちを持ってたっけ
しっかり意味と結びつかない言葉たちが、まるで記号のように見える

 

再び、中世学
今週は古高ドイツ語からの母音交換などについて学んだのだけれど、
如何せん、専門用語が全く分からなくて、
講義中に理解できたのは、ほんの30%もいかない気がする

 

具体的に何を問われるのかも、
いまいちよく分かっていないし、
どれだけできればパスできるのだろう

 

水曜日は、さっさと家に帰って来て、
復習をしようと思ったのだけれど

 

色んな人からメッセージが来たり、
金曜日のパーティーの予定を立てたり、
来週のベルリンを訪れる時のプランを立ててあげたりしていたら、
あっという間に家を出る時間に

 

その日は日本人とドイツ人のStammtischが
月に一度、Neustadtで開かれる日で
主に友人が連れて来た、大阪に留学していたというドイツ人の女の子と、
うちの大学に一年間いたというドイツ人の男性と話していた

 

まあ、彼女の大阪弁の流暢さと言ったら
帰って来たときは本当にドイツ語が喋れなくなっていたほど、らしくて、
それだけやれば、10ヶ月でもペラペラになるのだな
私もそうするべきなのかも、しれないけれど

 

それでも、留学生と話している時よりも、
ドイツ人と話している時の方が、
心的ストレスが軽い、ということに、今更気付く

 

多分それは、周りと比べなくていいからだ

 

どうしてプライドって、捨てても捨てても生まれてくるんだろうね
私はどれだけ、傷つくことに対して未熟なのだろう

 

木曜日は、
友人のプレゼントを探しに、あちらこちらを歩き回ったのだけれど、
結局、何もいいものは見つからず

 

いいものが見つからないのに、無理に買っても仕方ないし
そもそも過ぎてるし、私の誕生日も今年は祝えてもらえてないし
相殺、相殺、と思って

 

でも、思ったよりも時間を使ってしまって
また、復習が追いつかなくなる

 

ダラダラする時間を削ればいいのだけれど
どうしても、うまくできない

 

ドイツ語で受ける、ということで脳を消費しているのか
単にサボっているだけなのか、
まあ両方なのだろうけれど、あーあ

 

そして来たる金曜は日本人によるカルチャーパーティー
昼過ぎからダラダラ集まって、
ケバブを食べて、買い出しに行き、
友達のフラットで、ひたすらに作る

 

皆が来たときにはヘロヘロで、
しかも朝から日本語を喋り過ぎて、
ドイツ語はまともに喋れないし

 

皆がありがとうって、せっかく素敵な言葉をかけてくれているのに、
うまく対応できない私

 

なんかでも、皆と別れた後に、
ああ、この疲れは料理疲れ、というよりも、
あまり慣れない、というより話のテンポが噛み合わない人と
長時間いるとこうなるのだな、と思った

これは、言語の問題ではない
何故なら、同じくらいの長い時間を過ごしたはずの
韓国人の友人と過ごした後は、
全く、この種類の疲れを感じなかったから

 

勿論それは、彼が私にめちゃくちゃ気を使ってくれている、
というのは否めないけれど

 

私は今まで、言語が完璧に分かり合えなければ、
本当の意味で信頼しあうことなんて無理で、
それでも一緒にいることを選ぶ人々は、妥協しているのだと
そう思っていたけれど

 

言語が孕むものは、単純な言葉の意味の伝達だけではない
意味の伝達を担うのは、口から出る言葉だけではない

 

人間関係を構築する上で、私たちが本当に理解しなければならないのは、
“相手が何を言ったか”ではなくて、
“相手が何を言おうとしたのか”なんだなって

 

当たり前のことを、ひしひしと感じる

 


“優しい言葉”を使うことも、もちろん大切だ
でもそうではなくて、レトリックではなくて

 

私も、今いる周りの人々のように
優しく、言葉を使えるようになりたい