あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

1.9.2021

駅ビルの書店を出て、階段を降りたところで外気を吸う
霧雨が道を濡らしている
ほんの少しだけマスクをずらすと、ひやりと秋が薫った

同じようなぐずついた天気の日に、 同じような道のりでこの匂いをかいだ
そのときの私は、重たいブレザーとスカートに身を包んでいた

本は、当時の私のアイデンティティであり、夢であり、 なにより、延命装置だった
書店は、私が他の人と同じように呼吸を続けていくために 必要不可欠な空間だった

そのことを思うと、当時の私は
意味もわからず、座標もわからず、
バタ足で水中をさまよったまま、 塩水に傷ついた眼で、
遠くに陸らしきものを望んでいるような
そんな状態だったのかもしれない

周りの子は、水かきもあるし、呼吸法も備えているの
どうして、自分には同じことがこんなに苦しいのか
私は陸に上がりたいのに、 皆は水の中が十分に住み良くて、
誰も遠くに行く必要性を感じていないみたいだった

それでもたまに、一人で陸へ向かって泳ぎ始める子はいたけれど
なぜだか私はそれを眺めながら、
“自分はその資格が未だない”
と、その場で立ち泳ぎを続けるばかりだった

そして私はいま、皆と少し離れた場所で
やっぱり、ジタバタとその場でもがき続けている

そんなふうに、昔の記憶と今の自分をとりとめもなく往き来する
秋はきっと好きな季節だから、その分思い入れが強いから、
ちょっとだけ感傷的になりやすい

31.8.2021

昨日の夜、珍しく穏やかな気持ちを抱きながらベッドに入ったのに
ふと、8月が次の日で終わることに思い当たって
突風のような恐怖に襲われた

 

もう何ヶ月も前から、同級生は社会に出ているっていうのに
このモラトリアムが、一瞬で過ぎ去ったらどうしよう
将来、後悔しないように私は進歩できているんだろうか?

 

それにしても、よく考えたらまだ半年以上あるというのに
私の“終わりを恐れる症候群”はほとほと、治りそうもない

 

 

今日は立て続けに嵐のように色んな“予想外”が起きて
すべて、いい方向になんとかなったのだけれど、
やっぱり経験したことのない事態は怖い
ことさらに、お金が絡んでくるとなると

 

でも、こういう風にすぐに取り乱すのは、
あまりにもはしたない、ので
もっと落ち着いた、淡々とした人間になりたいとも思うのだけど

 

よく考えると、今日は実に色んな人と
コンタクトを取った日でもあった

 

Qoo10のメガ割で狙っているアイテム、
ほぼ日手帳のススメ、
卒論、それから大学生活に関すること

 

慌てたり、要領が悪いと落ち込んだり
頭が悪い、意気地がないと情けなくなったり
そんな瞬間が少なくとも5mmくらい、差し込まれない日なんてない

 

それでも、こうしてなんでもない日に
話しかけたら応答してくれる人がたくさんいるのだから
やっぱり私は恵まれた人生を歩んでいる

 

過去に目を向けるなら、
自分が人になにをしてあげたか、ということよりも
人が自分になにをしてくれたか、ということを考え続けたい


私のことだから、ひとたび風が吹いたら
ひゅうっと飛んで行ってしまいそうなので
毎日毎日気づいたタイミングで
心の中で呪文のように唱えている

 

 

29.8.2021

 

朝起きると、
昨日の一件で、祝福のメッセージを送った友人から返信が来ていた

それを読んで、私はまたしも自分の矮小さに気づいてしまって
でももうどうしようもないな、と小さく笑うことにした

 

だいたい、目立つことは成功と同義だと、私たちは思いがちだけれど
当事者にとっては、どうでもいい足枷にすぎないということが、よくある

 

いくら外からは華やかにみえたとしても
本人としては、不安定な足場を必死に組んでいる、
ただそのことしか頭にない、余裕がない

 

私的領域を公共にさらしているうちに、
それがいつの間にか公的領域に接続してしまい、
もはや境界がわからないという危機に陥る
自由がなくなる
私はそれを、一番恐れている
これは昨日の議論ともつながる問題

 

 

それでも今日は、
自分の進歩をかすかに感じられた

 

ランチで、いつも持っている感覚なら絶対にえらばないであろう、
でも食べてみたいという好奇心を、勝たせた

 

あるカフェの前を通りかかったとき、ショーケースの中に
まだ一刀も入っていない無垢なクリームの塊が、
どん、と上段の左端に鎮座していた

 

その傷ひとつない真っ白なシフォンケーキをみて
「ああ、これはしあわせの一つの具象化なのかもしれない」と感じた

 

だから多分、今日はいい日だったのだ

28.8.2021

あまり人のことをうらやましくおもわない方だ、と自覚していたけれど
本当はそうおもうことをダサい、とはねつけて
見て見ぬ振りしてきただけだ

 

  

いい加減に期限が迫っている論文構想の提出期限に急き立てられて、
今日はずっと、独論文に立ち向かいっぱなし

 

最近はこの作業が中々楽しくて
扱っているテーマについて少しわかってきたから、
というのもあるけれど、どちらかというと
やっと、ある程度ドイツ語が読めるようになってきたことと関係している

 

去年の今頃は、ちょっと長い関係文や再帰動詞に当たっただけで
とたんに文意を掴み取るのを難しく感じていたのだけれど
今はそこではなくて、
むしろ辞書には載っていない語彙のニュアンスでつまづくことが多い

 

自分の積み上げてきたものに、少し自信が持てるようになって
心の余裕もでてきた今日この頃

 

数時間ぶっ通しの作業の末、夕飯までひとやすみ、とTwitterを見ていたら
ある記事のタイトルに、もしかしたら、と閃いた
ひらいてみたら、やはり取材を受けていたのは友人だった

 

動悸がした
それは、知り合いが有名なメディアに発掘されて、
それを自分が自力で発見したことへの興奮だとおもった

 

でも、この時点でほんとうは、
動悸の種類がちょっと異様であることを自覚していた
けれど、気のせいだと、見て見ぬ振りをした

 

それを否が応でも自覚させられるきっかけになったのは、
その記事を紹介するやいなや見せた母親の、
「すごいすごい!」と嬉しそうな声、興奮した態度だった

 

とっさに、
「すごいことが、えらいわけじゃないよね?
というか私は、えらくなりたいわけじゃないよね?」
と、不安げな自我の声が、私の心を守ろうとした

 

自負が、その声をなかったことにしようとしたけれど
もう、手遅れだったし
その繕い自体が、馬鹿馬鹿しくて嫌になった
いつまで自分の心の中で、茶番を演じていれば満足なのだろう、と

 

 

実は昼間に、1時間だけ友人とチャットをしていて、
最近考えていたことを共有した

 

私は、自分の思いや考えを、
筋書きなしに人に披露することを極端に恐れている

 

相手にポジティブな反応が現れる打算がある程度たってからしか、
口にすることができない

「相手のため」と思っていたんだけれど、
これこそ、主体性を手放すための、
自分自身でも気づかないほどに巧妙なレトリックだった
 

こうして他人軸で生きている限り、
私は私のやりたいことを一生見つけられない
(そう、“実現できない”ではなくて、そもそも“見つけられない”)

 

どれだけ他人のために生きている、持てるものを投資したとしても、
結局本心を見せていないのだから「信用」されない

 

だから、一生選べないし、選ばれない人間になる

 

「本当にそうだね」と、
私たちは似たような部分で思い当たる節があった

 

 

他人の前で自分を出せないどころか、
「自律」と称して、
自分自身を全然、受け入れられていなかった

 

もちろん、私は人を傷つけたくないから、
これからも考えてから表現することは変わらない

 

けれど自分が傷つきたくないという理由で、
自我を殺して、腐らせて、
その屍体すら、愛想笑いでごまかすのは
もう、やめにしたいな

2.8.2021

先週、髪型をバッサリと変えた

 

ほんとうは、下半分をボブにして、ちょっとパーマを入れて、
耳あたりから下にグレーを入れて、
みたいな髪型にしたいけど

 

残念ながらわたしは春先から縮毛中で(そうしないと夏が乗り切れない)
カラーはうまく長く入らないし
かといって伸びてきている捻転毛気味の根元は、
いまの毛先の重みがあってようやくどっかりと腰を下ろしてくれているわけだし

 

髪型一つ
ままならないことばかりだなぁ、とおもう

 

結局、前髪を眉上で切って、
毛先15センチ程度にブリーチを入れて、
グレーがかった明るい色にしてもらった

 

結局、1、2回シャンプーしたら、
ただの黄金色になってきたけれども、笑

 

会った友人やインターン先の方々には
「その髪型いいよ!」とめちゃくちゃ褒めてくれて、嬉しかった

 

反面、母親の反応はやけに薄い
まあ、気に入ってはいないでしょうね


でもどこかで「それも意外と似合うね」くらいは
言ってくれないかなぁ、と心のどこかで期待していたんだなと気づいて、
そんな自分に苦笑を漏らす

 

 

 

さて、その会った友人だけれども
彼女はただいま夢を追うため、
かなり難しい経路をたどって、スタートラインに立つことまでは叶えた

私は彼女に、早く会わなければと思っていた
なぜならそのことで、あらぬ理由から、
いわれもない根拠で自分のことを責め立てる暗い感情を
掻き立てる要素になってしまいそうだったから

 

思い違いだよ、と、理性的な自分が珍しくも正しく諌めていて
そして会うやいなや、はじめてといっていいほど理性的な自分の正しさを感じた

 

やっぱり、使っている道具が似通っているだけで、
求める本質は全く異なっていた

 

話を聞けば聞くほど、
彼女自身や彼女が置いている環境に畏敬の念を覚えながら、
そこはとても、私が挑戦したいと思う土俵ではなく
私は過去の自分の直感的な理解が正しかったことを知った

 

私は、自分の言葉や文章をつかって
世の中や個人を変えたいとは、やっぱりどうしてもおもえない

 

そうではなくて、身勝手で無意味かもしれないけれど、
私は私のために、この行為をただ為していたい

 

その過程をあちらこちらで、いろいろな形で放流することで、
もしも誰かが大切ななにかを感じたり、捉えたりすることがあれば
それはそれで素敵なことだけれど
そのことを “私の言葉や文章のおかげ” だと考えたくはない

評価されたい、とおもうと
どうしても手元が狂う

 

「誰かのため」を第一の目的とすると
その傷みははやく、
空疎に成り果てることが多い

 

そこの線引きがしっかりとできていないから
ここ数年、内心で混乱する場面が増えたのだなぁ

 

結局原点回帰
調子を取り戻すには、まだちょっとだけ掛かりそうだ

 

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これはリトアニア、トラカイのガルヴェ湖のほとり
澄んでいておだやかな湖畔を散歩するのが日課、なんて生活を一度はしてみたい