あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

1.10.2019

 

 

 

さて、今日から10月

 

晴れて新しい隣人と知り合って、喋っていたせいで、
原稿は思ったより進まなかったけれど、
まあこれはこれで、必要なやり取りだったから

 

 

 

今日は隣人がいつ引っ越してくるか分からない、というのもあって、
少しだけいつもより早起き

 

と言っても最近、日に日に起きれなくなってきている自分がいる
にも関わらず、多分1限の授業は2コマ確定していて、
しかもこれは本当にあった怖い話なのだけど、
日本で通っていた大学が始まる時間に、こっちの1限が終わるのよね
あー、危機感でどうか起きてくれ自分

 

11時過ぎから、語学のコースの履修登録が開始されたので、
意を決して真っ先に申し込む

 

けれどその後によく要項を確認したら、
“対象者: DaFかDSHの証明を持っている者”という注意書きが
私の取ろうとしているコースから追加されていて

 

公式にはB1しか持っていない私が申し込む恐ろしさ
笑うしかないし、もう後は、勢い

 

昼過ぎに再びバディがやってきて、
銀行口座のあれこれ
妙に遅れてやってきたオンライバンクの手紙は不必要で、
なぜかというと、
(本当にありがたいことに)
バディが外国人局に問い合わせてくれて、
何と閉鎖口座でなくても、残高証明が出るならOKとのこと
それなら、SparkasseのGirokonto一つで十分だ

 

電話で最初問い合わせしようとしたのだけれど、
全然繋がらないから、メールを書いてもらう
書いてもらうのも申し訳ないけれど、
やっぱりこういうのを見るのって貴重な機会で
なるほど、ネイティブはこうやってメールを書くのか、
としっかり勉強になったように思う

 

彼女が帰った後は、ドイツ語の勉強

 

ほんと、これも今更
前置詞と同士の組み合わせ、
しかもプリントにはB2.1って書いてあるし
こんなものを必死に今覚えている私がC1だなんて、
滑稽にもほどがあるよ

 

けれど、語学のコースが始まるのは、幸いにして21日から
それまでに必死に文法を詰め込めば、
どうになるのではないか、という淡い期待

 

今までにないほど真剣に取り組んでいると、
ついに隣人となる香港ガールが越してきた

 

入居してすぐ出かけてしまったので、ほとんど話さなかったのだけれど、
会った瞬間「あ、絶対いい子だ」と確信

 

彼女が帰ってきてから、話を聞くと、
環境工学を勉強している彼女はすでに修士課程にいて、
2年間ここで過ごすのだという

 

当然、英語の方が得意そうだったし、
ドイツ語は2年間だけやっているっぽいけど、
多分私の方が喋れることは喋れる

 

けど、
“どうやったらそんなに喋れるようになるの!”
と聞かれれば、私は苦笑いするほかない

 

もちろん、日常生活で使うような単語や動詞に慣れていない、
使い慣れない分野だから、というのもあるけれど、
簡単な説明や、時制がめちゃくちゃのまま喋っている自分に、
ほとほと、溜息

 

ようやくどこでどの前置詞を使えばいいのか、
過去形、現在完了も
紙に書いていれば分かるようになってきたけれど、
喋っているときは、緊張していて頭がまっさらになってしまい、
結局、口をつくようにして出てきた、
でまかせの言葉で喋っているに過ぎない

 

これは本当の言葉じゃない、
私の大嫌いな、“ツールとしての言語”だ

 

ああ、もうどうやったら
脳みそと口がうまく繋がるのかしら
早く、早く、と焦っても仕方ないのは分かるけれど
やっぱり、焦るものは焦るよ

 

でも、それとともに、
急に笑いがこみ上げてきたのは、
2ヶ月前のメンタルが死んでいる自分を思い出したから

 

 

 

ただでさえテスト期間やら渡航前の不安やらも重なっていたけど、
ベルリンで、いきなりB2の中にぶち込まれて、
一体全体どうやって生きていこう、とナーバスになっていたあの頃
まさかあんなに沢山友達ができて、
沢山楽しい思い出ができるなんて、思いもよらなかった

 

それまで死にたいくらい悩んでいた自分が、
本当に馬鹿みたいに思えるけど、
それでもそれだけ、真剣だった

 

その経験があるから、
今こうやってまた、無謀な挑戦を重ねられる

 

どう考えても前回よりも無謀なのに、
これだけ楽観的でいられるのは、
間違いなくあの成功体験があったから

 

ドイツ語としては、
かろうじてB2に届くくらいの実力かもしれないけれど、
だとしてもあの一ヶ月の伸びは大きかった

 

語学、というよりも、
どうやってコミュニケーションを取ろうとするか
根底にある基礎の部分を補えたから、
今こうやって、精神がグラつかずに済んでいるのだと思う

 

 


今は、頑張ったら頑張った分だけ報われる、
それを盲目的に信じられている
だから明日もまた、諦めずに頑張ろうね