あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

30.8.2020

私も、私の周りも、
就活の前後に関わらず、
「人生の岐路」を意識している

 

先日、ようやく娑婆の空気を吸いに、京都から出てきた友人と、もう一人と、
オフライン再開

 

なんだかんだとオンラインでは授業などで週三で会っていたし
全く、久しぶり感がなかった
こうしたときに、オンラインとリアルの境目を、かんがえる

 

何が今までの私たちを、つくってきたのか

三人とも選民思想は大っ嫌いだけど、
自分がいわゆる「特権階級」に位置してきた事実からは、
まぬがれられないと、知っている

 

その環境に浸って、そこから眺めてきた世界は、
きっと、一般的・平均的景色では、なかっただろうと思う

 

じゃあ、どうしたらいい?
この世の不合理は、どう解決したらいい?

 

というのが、多分私たちが大学にいるあいだに
静かに下流を流れ、つきまとってきた主題だった

 

二人の友人は、世間的にみたら
いわゆる「選ばれしもの」たちが行く会社の、内定を持っている

 

かたや、「今までの環境から離れる」ことに不安を覚え、
かたや、「私のしたいことはこのルートで達成できるのか」に疑問を抱いている

 

私は、まだルートを確定していないけれど、
両者が持っている悩みを、ずっと持ち続けている
内部進学者の、高校生として、大学生として

 

私たちが望む改善は、
あまりにもスケールが大きくて、
たくさんのスキルとパワーが必要で、
でも私という人間には限界があって、
目的と手段=私が合致するのかも、わからない

 

「わからない」という結論に至るのは、極めて私らしいと思う

 

普通は「足りない」と思ったら、補いにいく
その手段は多様だとしても
自分の「特性」だけで突っ切ろうとは思わない

 

 

 

私はより多くの「選択肢」を残すことを「自由」と定義しているのだと
最近、ハッと自覚した

 

一見、初動が遅かったり、早かったり、まちまちなのは、
「その物事」に対してではなくて
「未来の可能性」を伸長させることを、念頭に置いているから

 

要するに、自分の特性を「伸ばす」ことには意欲的でも、
不向きなことを補おうとするのは、
よっぽどのメリットがない限り、
特性を捨ててまでやることじゃない、と思っている

 

いつもせかせかしているように見えて、
長期的視点ではのんびり構えている

 

未来のことは、常に不確定で、
流れにある程度、身を任せることは
「個」を保つことと、矛盾しないどころか、助長すると思う
現実は、小説よりも奇なり、だから

 

結局、私は何をやるにしても、
私の信念を体現する、私だけの「物語」を描けるかを重視している
そしてありがたいことに、
今社会全体で起きているエシカル・ムーブメントの流れに乗って
また「物語の時代」がやってこようとしている、潮流を感じる

 

 

 

実は最近一気に、大小二つの「仕事」なるものに、申し込んだ

 

何故このタイミングで、立て続けにやってきたのか
そもそも引き受けることになったとして、それでこれから一年間乗り切れるのか、
全然、分からない

 

けれど、今私に欠けているのは「具体的実践」で、
これらがあれば、より大きな自信を持って、
しゃんと歩けるようになると思う

 

 

 

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ドイツから残りの荷物が送られてきて、
送ってくれた友人に心底感謝しながら
色々な思い出がごった混ぜで、懐かしさがこみ上げる

 

全てが落ち着いたら、これらの読書も片付けて、
フィンランド語を、再開したいな