あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

28.11.2018

 

 

 

インターンの帰り道、冬に差し掛かった空は曇っていて、

そんな東京の空を見上げながら、思う

 

ヘルシンキの闇とは、濃度が全然違う

あの黒々とした暗黒は、よもや何処にも見当たらなくて

 

東京というのは、夜までもが煌々と明るいのだな

それに安心感を抱くか、不安を覚えるかは、人それぞれかもしれないけれど

 

 

 

 やっとこさ、短期講座の奨学金の申込みの目処がつきそう、というところで、

また、足止めを食らう

期限は刻々と迫っているので、流石に能天気な私も、不安を覚えている

 

それにしても前も書いたかもしれないけれど、

このポータルサイトの使いにくさよ

 

一昔前のエンジニアが書いたものを、

改変の必要もないからとそのまま使っているような、

その割に、pdfは最新版のものを求めてくるし、

一体全体、何なんだこれは

 

まあこれで上手くいかなかったらどうしよう、

なんて考えている暇も無駄なんだけれど

 

 

 

今日、久しぶりにインスタを投稿したのだけれど、全然だめ

まず、投稿の画面の使い難さといったら

キャプチャ画面が小さくて、フォントも細かい割には、

文字数制限なしに、いくらでも書けてしまうし、

タグ付けも面倒、写真選びも時間がかかる、その割に画質落ちるし

(おまけにPCからの投稿は何故かできないし)

 

息を吸って吐くように投稿をしている人々は、

何で使いこなせるのかしら、と首を傾げたくなってしまう

まあ、私が時代遅れなんだろうけれど、

私は私のやりやすいように、やるさ

 

結果的にいつも信じられないような長文投稿になってしまうけれど、

まあ、それが嫌なら見るなって話なのでね

昨日も話したように、全て、忘れたくないし、忘れてはいけないのだ、何事も

 

結局、手書きの日誌、ここの日記、インスタ投稿と、

旅行に出ると、三重に記録をつけることになる

無駄だと言われれば確かにそうだし、

そのおかげで全てを旅行中に書ききれていないので、

果たして意味があるのか、と問われれば困ってしまうのだけれど

 

三つ、重なる部分もあれば、重ならない部分も出てくる

 

人目に触れない、自分だけの場所

顔見知りのいる場所

それから、顔見知りではないけれど、言葉が漂流する場所

 

それぞれの三つの場所は三様で、全然違う場所だから、

何処で、私はどの部分を切り取って表現しようかと、選んでいる

文法も、内容も、細かく使い分けている

 

それらは無意識のうちに行われることで、書き終わった後に気づくこと

これを観察することは、私の心や思考の動きを客観視する上で、大切なことで

 

だから、今日も少しづつ、日常を切り取り続ける

 

ここは、できるだけ長く、私にとって、

最もコンスタントで、リベラルな場であってほしい、と願っています