あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

31.10.2018

 

 

 

自分の言いたかったことは、本当に簡単に言葉に言い表せたのだと、

今まで、全然気づかなかった

 

 

 

今日は入ゼミを希望しているゼミの、オープンゼミだった

 

今回の文献のテーマは「チャーチル

 

私は、世界史をかじってはいるけれど、それでも知識は全然、足りない

誠に恥ずかしいことに、特に近現代史の細部は全く分からなくて、

チャーチルがどんな政策をとっていたのかさえ、はっきりとは知らなかった

 

雄弁家として知られるチャーチル

今回はその側面にフォーカスを当てて議論が進んだのだけれど、

教授の一言で、私の頭の中のピースが、カチリ、と音を立てて嵌った

 

ああ、私は、

天のように高い場所にあったまつりごとと、

それに最も影響を受ける民衆の間の断絶を埋める手段、

それこそが言葉の存在なのだと、そう思っていたのか

 

 

 

私は言葉を愛しているし、

何より、言葉の力を信じている

 

(もちろん、ドイツ語という要因もあるのだけれど)

その私が文学部に進まずに、わざわざ政治分野に強い学部に進むことにしたのは、

 

「どうすれば、人々の政治的関心を高められるのか」

ひいては、

「どうすれば、人々は他者へ関心を払って、手を差し伸べられるようになるのか」

 

という疑問を明らかにすることを、諦めきれなかったから、

ここにくれば、その答えの片鱗が得られると思ったからだ

 

そして、そこで得た答えを、万人に流布したい

傲慢だけれど、心からの真実の願いをどうにかして、形にしたかった

 

私は、言葉について本気で考えると、感傷的になって涙がこぼれそうになる

それはきっと、言葉が私とせかいを唯一、繋ぐものだと考えているから

言葉がなければ、私は孤独に打ちひしがれて、死んでしまうに違いない

 

だから私は、言葉の人々に対する絶大な影響力を、盲信している

 

政治と民衆を唯一繋ぐ正当な手段、それは権力でもなく金でもなく、

それは言葉なのだと、確信している

 

だから私はこんなにも、民俗風習の色濃く表れる民間伝承に強い関心があるし、

エスニシティに、人々の暮らしを叙述する文献に、

かつてそこにあった事実を私たちに教えてくれる歴史に、

ひどく、惹かれるのだ

 

 

 

ある程度、自己を納得させうる理由は並べていたけれども、

それでも私は、なんで、民俗学西洋史、文学ばかりに興味があるのに、

この学部にいるのだろう、とずっと疑念は持ち続けていて

 

でもそのしこりが、嘘のように消え去った今、

私は自分の選択を心から信じることができている、

 

やっぱり間違ってなかったよ、2年前の私

そして今も、やっぱり間違えては、いないはず