あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

27.11.2018

 

 

 

自分にないもの、について考えさせられた旅だったな、と思う

 

 

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ヘルシンキ最終日は、

Cafe Esplanadi で最後の朝食をとった後、

ストックマンのブラックセールにて、憧れのイッタラを購入

全品20%オフの気前の良さと、免税と、クレカの学割で、

一体日本の市価の、何割引で買えたのだろう、という感じ

 

それからムーミンショップに行って、空港へ

この容赦ない冷気に、名残惜しさが、募る

ポルヴォーのおじいさんから、まめな返信が来て、さらに後ろ髪引かれる思い

 

 

 

そして、帰国して、友達とも別れて、

家に辿り着くと、ソファーの上で死んだように眠りについた

それから夕食を食べて、また眠りにつく

 

本当は、夜中に起き抜けて色々作業をしようと思っていたのだけれど、

全く、身体を起き上がらせることはできず、

午前中丸ごと睡眠に費やした

 

語学の授業だけは、と5限の為だけに授業へ向かい、

(途中電車を間違えて少し遅れたのだけれど、最早焦りもしなかった)

それから、家路に着いたのだけれど、

ふと、思い立って本屋に向かった

 

私の最寄りは、本当に引きこもるには苦労しない駅で、

幸いなことに、本屋もそこそこ専門書が揃うような品揃えを誇っている

 

そこで、フィンランド語の文法書を調べると、

何と5冊近く揃えていて、感動

まあ、現地の人には必要ないだろうから仕方ないのだけれど、

アカデミア書店では、どうしてもフィンランドの文法書は見つけることができなかった

(そしてアカデミア書店では、

何故か英語ではなくフィンランド語で話しかけられて、私が英語を話すのに心底びっくりしていた様子だったけれど、

よく考えれば、独芬独の辞書と、独語の絵本を買っているアジア人ほど使用言語が謎に包まれているものはなかったはずだ)

いつかもらった図書カードと引き換えに、

一番細かそうなものと、英語の文法書も購入

 

 

 

前に書いた「足りないもの」というのは、何も語学だけではなく

色々、後ろ暗い思いに飲まれそうになった瞬間が、幾つかあった

 

それは、対象に対する負の感情を抱いてしまうこと、

そしてその感情を発露させている自分への、情けなさが、

ひしひしと心に食い込んで、囚われそうになる

 

何事も、事実は変えられないもので、

唯一、私たちを救うものがあるとすれば、切り取り方を変える、その方法だけだ

 

誰しも、行き場のない怒りや、羨望、嫉妬、怨恨を抱いてしまう瞬間はある

そのこと自体で、自分を責める必要は、実はないのではないか

 

大切なのは、その感情に囚われずに、どう噛み砕いて、消化していくかで、

そのためには、やっぱり、自分の心と向き合って、

まずはその負の感情の存在を、認める必要があるのだと思う

 

その第一段階の過程で、踏みとどまってしまう場合は、あまりに多い

認めたくなくて、責任転嫁したり、

或いは、全くなかったことにしてしまって、

他の全然関係のないところに、負荷が掛かってしまったり

 

そのことも、冷静な時には、いつだって思い出せるのにね

大きすぎる感情にぶつかって、しかも一人ではない時には、

そのことを思い出すことが、難しい時も、ある

 

私は、ただでさえ本当に忘れっぽいたちで、

例えば今日も、前期あれだけ苦しんだReferatのことを綺麗さっぱり忘れていて、

ドイツ語の教授に思わず驚かれて、呆れられてしまうくらいなのだけれど、

それでも、良いことも、悪いことも、

ひと時たりとも、忘れたいと思ったことはなくて、

だから息を吸って吐くように、思いを言の葉にのせるということは、

私にとってごくごく普通のこと

(だから、twitterをよく使うのだけれど笑)

 

そういう時の為に、この日記を書いている、という節もあります