あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

2.9.2018

 

 

 

ダナンを離れる

 

 

 

ホーチミンはダナンの5倍バイクが走っています」
というのは冗談ではなく、本当だった

 

ダナンの時も暴走族みたいだと思ったバイク
ホーチミンの方が道幅も車も多いはずなのに、すし詰め状態
こりゃ歩行者が渡れるような雰囲気ではない

 

交通ルールについて現地の人に聞いてみると

 

「交通ルールは日本と同じですが、
ベトナムの人は歩行者が渡ろうとしていても、気にしません」

 

気にしないんかい、笑
というわけで横断歩道を渡るのも命がけである

 

 

 

今日は激安のカゴバックを買いに行ったのだけれど、
「これ、大丈夫か?」というチャイナタウンの一角の古い店舗に、
無造作に積み上げられた大量のカゴ
色彩の暴力が暗闇の中で息を潜めていた

 

店の奥では家族らしき人々がトランプに興じていて、
奥では夕飯の煮炊きが行われていた
まるで商いをしている雰囲気ではない
むしろ日常生活のかたわら、商いを営んでいるような

 

一人だけカタコトの日本語を喋れるおばちゃんがいたのだけれど、
小さくて、カタコトで「ソレ、ハチマンドン、ソレ、ナナマンドン」とかいうのが
可愛らしくて仕方なかった

 

夕食は小さなフランス料理屋に行ったのだけれど、
そこのフランス人の太ったおじさんオーナーが、
「こんにちは、いらっしゃいませ」と愛嬌たっぷりに日本語で迎えいれてくれる
大量にあるメニューを丁寧に一つ一つ解説してくれた
(あさりとか手長海老とかカモとかは日本語で、それ以外は英語で)
どうやら昔日本に住んでいたらしいのだ
(その時から飲食業に携わっていたわけではないのらしいのだけれど)
果たして不思議なことが、あるもので

 

美味しくいただいた後、外からドンドンと爆発音

 

そうか、今日はベトナム建国記念日
ビルの合間からしか花火は見えなかったけれど、それに夢中になっていた女の子が、
慌てて会計を取りに行くのがまた、可愛らしかった

 

 

全く関係ないのだけれど、帰りのタクシーの中でふと、
ある子のことを思い出した

 

その子は小学校の時に最後のクラスで同じになった程度で、
全然仲がいいとは言えなかったと思うし、私と彼女の共通点はほとんどなかった

 

きっと彼女は私のことを覚えていない

 

勉強はできなくても成績はそこそこよく、育ちも良さげな、
可愛くて、私にも嫌味もなく優しい子だった
(だからぶりっ子という子もいたけれど、少なくとも私は妬みだなと思った)
彼女とは、何冊か本のやり取りをしたことがあって
私が貸した本も、彼女に借りた本も、お互いに気に入っていて、
私たちはとても、本の好みが合ったようだった

 

そして紛れもなく、『GOSICK』を薦めてくれたのも彼女だったのだ

 

それがなくたって、いずれ私は桜庭一樹と出会っていたと思う
それでも、その子が最初にあの世界を教えてくれたことに変わりはない

 

GOSICK ―ゴシック― (角川文庫)

GOSICK ―ゴシック― (角川文庫)

 

 

そのあと彼女は京都に引っ越してしまったし、
私も地元の中学に進学しなかったから、今はもう知る由もない
SNSも見つけられない

 

それでも、私は、
私を今の世界に導いてくれたのは、彼女だったのではないかと思う
彼女が、私の世界をつくった

 

何が言いたいかというと、
私にも付き合いが長い子はいる、よく遊ぶ子もいる
むしろ私の人付き合いは、狭く深くだ

 

でも、だから彼ら全員が私の世界に影響したかといえばそうではない
皮肉なことに、
誰かの世界観に影響を与えることと、
その人と接した時間の長さや濃さは比例しない

 

濃い時間を過ごしたようにみえても、
何でも話せるような仲であっても、だ

 

別に誰かの人生に影響を与えることがいいことだとは限らないし、
そういうことをしなければならない、そういう存在でなければいけないわけでもない

 

ただ、私たちは知らないうちに他人の人生に影響を及ぼしているかもしれないし、
実は深く関わっている人の人生には一ミリもかすっていないかもしれないということ