あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

4.1.2021

三が日の最終日、友人とともに、小旅行

 

最初はサクッとランチでも、のつもりだったのだけど、
結局一日予定が空いていたのと、
お互いに「水辺」を欲していたのとで、
富士の忍野八海へ出かけた

 

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こうやって写真に収めると、中々幻想的だけれど、
実際にはとてもこじんまりした池が、
村の景色の中に、ぽつぽつ、と点在している

 

まあ、湧水なので、
底面までの透き通り方は極上でした

 

 

 

水辺を目的にきた、のではあるけれど
一年越し以上、対面で、ゆっくり話す機会

 

正直、年末年始は自粛ムードであったのは分かっているけれど、
コロナのおかげで、私が3月に帰国してから
本当は真っ先に会うべき理由があったのに、全く会えなかった

だから、このわがままには、目を瞑ってもらいたい

 

彼とは、かなり特殊な関係性
関係の大半を、メッセージのやり取りで構築してしまった、
と言っても過言ではなくて
しかもその大半が、日常のあれこれではなくて、
比較的抽象度の高い議論

 

お互いのことをよく知っているようで、知らなくて
会えなかった期間にも、いろいろあって、
かつ、二人で長い時間を過ごしたこともなかった

 

まあ、どうなることやら、と
会う前まではかなり緊張していたのだけれど
その実、全くその必要はなかったのよね

 

もちろん、とてもとても楽しかったのだけれど、
それ以上に、「ああ、楽だな」という気持ちが先行した

 

多分それは、私が一々アレコレ考えずに喋っても、
遮らずに最後まで聞いてくれるし、大きな曲解はされないだろうという安心感
だし、大まかなセンスでの共通項は結構ある気がする
(お互いに趣味が大衆的ではない割には)

 

自分も相手も、それぞれ何考えているのか曖昧な部分はあるけど
まあ、考えても仕方ないし、それでいいかな、今は

 

十年後くらいにもっとハッキリしたり、しなかったりするのかな、
ということで、笑

 

 

 

そして本日は、たまたま
公開当時からずーっと目をつけていた
レディ・バード”がNetflixのラインナップに追加されていることに気づき、
衝動的に慌ててそれを観はじめる

 

 

レディ・バード (字幕版)

レディ・バード (字幕版)

  • 発売日: 2018/09/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 

本当に数ヶ月前まではどこにも上がっていなくて、
ほとほと、困り果てていたから、もう狂喜

 

そして、思っていた通り、いやそれ以上の映画だった

 

あらすじとしては、カリフォルニアの田舎町の
普通(以下)の家庭環境に育った、
“レディー・バード”と名乗るエキセントリックな少女の
高校最後の一年間を描いた青春ストーリー

 

ただ、カバーしているテーマが広範すぎて、
「もうエンディング?」と思うような「転」の場面が
10分毎くらいに訪れる、密度

 

家族(母、父、養子の兄とその彼女)、様々な形の恋、親友、高校、田舎と上京、
男友達、セックス、進学、宗教など
これだけの内容を、一つの脚本にまとめ上げるって
もう、神様としか思えない

 

私は、青春ものが得意ではない
脈々と流れる「キラキラ至上主義」を感じると、
生理的に不快感を覚えてしまう

 

レディー・バードは
「何者でもない自分」とひたすらに戦い続ける
なんでも口に出すし、なんでも行動に移す
でも、物語の主人公だからと、全てがうまくいくわけではなくて、
裏目に出ることも多い

 

自意識は暴れるけど、本当はちゃんと理性もある
その泥臭くもリアルな描写に、
「そうなんだよ、そう、そう……」と
共感して、涙腺が緩むかと思えば、
どう考えても笑うしかない展開が突っ込まれていたり
(そしてまさしく私のツボ)

 

これ、誇張抜きで、生涯見てきた映画のベストかもしれない
あと100回でも観たい

 

欲を言えば、もっと早く出会いたかった
公開が2017年なのだけれど、
自分が小学生とか中学生の時に観ていたかった
きっと、今とその時では、掴み取る部分が違うと思うけれども

  

28.10.2020

優先順位どころか、
自分が今、どんなフェーズの上にあるのかさえ
定かではない、日々

 

どうも私は、
「その日のタスク」なるものを定めることが苦手だ
それは多分、自分に甘いからだろうけれど

 

未来が不確定である以上、
今、私は何に時間を投資したらいいのだろう、とか
現状でもキャパオーバーになりつつあるのに、
インターンが始まったら、果たしてちゃんとコミットできるかな、とか

 

そのくせ、恐怖感から課せられている
自分が思い描く“自由”のための、毎日の習慣は、
まるで歯磨きのように
必ずこなさないことには、気持ち悪さが残る

 

ちゃんと測っていないけれど、おそらく
語学に1時間半、読書に2時間、
それに加えて、“勉強”として漫画を読む時間が1時間、
新聞記事を読む時間が、30分程度

 

これだけで、もう4時間にもなる

 

それでも全然、やりきりたいことは終わらなくて
だから優先順位を思い切って決めなきゃならないのだけれど、
将来の不確定性を理由に、
全てを手放せずにいる

 

仕方ないことなのか、単に要領が悪いのか

 

それに、ぼちぼち皆んなで集まる機会も増えて、
先週末は、ゼミの同期と後輩らとともに、
花火を観に、伊豆へと小旅行に出かけた

 

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そりゃめちゃくちゃ笑ったし、めちゃくちゃ楽しかったのだけれど
自分が何をしたわけでもないのに、異様に後引く疲れ
そうだ、私は元来集団行動は向いていないのだった

 

それでも、大半の人はもう卒業してしまうわけだし
彼らとの時間を、思い切って削ってしまう気にもならない
普通の人は、ここで就活に注力しているのかもしれないけれど
どちらを選ぶにせよ、
「それでいいの?」という疑念がよぎる

 

睡眠時間を削ろうにも、
朝、全く起きれないので
2時寝9時起きを繰り返しているけど、
これもどうなのか

 

そうこうしていると次の試験やら、課題やら
または就活関連のタスクやら

 

積み上がった山を消化することの、難儀さよ

 

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帰国したら
真っ先に向かおうと思っていたジェラート屋さんを、
先日ようやく訪れた

 

前のように、いつでも食べられるようになるのは
果たして、いつの日になることやら



 

5.4.2020

 

季節外れの雪の降る東京に、私は帰ってきた

 

まさか、次の更新が日本から、になってしまうだなんて
一つ前の記事を更新していた時の私には、思いもよらなかった

 

 

3月21日
・週末にドイツ全土で来週から取られる施策が決まることを知る

・隣の香港ガールから“明日からドレスデン市はAusgangssparreを敷く”ことが先ほど発表されたことを知る

・アラビアンパーティーの脇で、彼女といそいそと一緒にご飯を作って、食べる

 

3月22日

・週明け、何が発表されるかね、なんて呑気に構えていた日曜日

・夜、友人たちと(遠隔)Netflixpartyを開催する

 

3月23日

・昼過ぎに、あっさりと欧州の多数の国がレベル3に指定されて、崩れ落ちる

・切り替えて、友人と共に27日付の飛行機を予約する

・手続きなどを調べて、メールの下書きなどを確認する

・友人と電話する

・大学からのメールが気になって上手く眠れない夜を過ごす

 

3月24日

・これまたあっさりと、日本の大学から“帰国せよ”との通知

(ちょっと期待していた自分がバカみたいだ)

・役所に電話したり、メールのやり取りをしたり、荷物を引き取ってもらったり

・そのまま友達の家でお茶をする

・その後(本当はダメだけど)友人の家を訪問、一緒にチャプチェを作る

・その道中で別のアメリカ人の友人にたまたま会う奇跡

 

3月25日

・銀行の口座についてあれこれやり取り

・再びメールなどの返信

・もう一度友人を訪問(今回はキムチチゲ

・彼の前で号泣、その後まさかの寝落ち

(これがおそらく私史上で一番自分の気持ちを他者の前で吐露した時)

 

3月26日

・寝落ち前後にちょっとしたハプニングを起こしたことを知って、爆笑

(でも申し訳ない気持ちはある、改めてごめんね)

・もう一度友人に荷物を引き取りに来てもらう

・部屋中を掃除

・友人と隣の子を招いて、一緒に夕飯を食べる(香港料理!)

・一番仲の良かったチェコ人の友人と共に、三人で電話

 

3月27日

ドレスデン最後の日

・出る直前にギリギリHausmeisterに会えて、挨拶をする

・隣の子が荷物を運ぶのを手伝う傍、見送りに来てくれる

・例の友人も駅まで迎えに来てくれて、日本人3人でベルリンまで向かう

・ここで大変なアクシデントが起きて、私はその日の便に乗れなくなる

・一緒に帰る予定だった子とは帰れず、顔見知り同士の二人を見送るというカオスな状況に

・さらに友達の友達、つまり他人の家に居候させてもらうという奇妙なドイツ最後の晩を過ごす

 

3月28日

・日の昇りかかったベルリンのMoabitから、再び空港へ

・今度は何事もなく飛行機にも乗れて、フランクフルトへ

・待機している時に、友人から預かった“存在の耐えられない軽さ”を読み始める

・昼過ぎに搭乗、最後のドイツの景色を見届ける

 

機内

・眠ろうかとも思ったけど、恐ろしく眠れなくて、映画を3本見る

(“ティファニーで朝食を”、“マレフィセント2”、“蜜蜂と遠雷”)

日本海上に差し掛かったあたりで、再び咽び泣き

 

3月29日

・検閲に5時間は待ったけれど、短い方だったし、そんなに辛いということもなかった

・母親の出してくれた車で帰宅

・満開の桜に牡丹雪

・帰ってきて初の仕事がまさかの雪かき

 

 

 

そんなこんなで帰宅して、今に至るのだけれど、うーん
今はなにを書いたら、いいのやら

 

今回の大流行で考えたことを
みじかく、まとめると、
“人の話を聞かない人の、多さ”だろうか

そして自らもその一員であったし、多分その一員であるということ

 

もっと早く、人々が正しい声に耳を傾けて、
目先の自分の利益を優先させるような、勝手な判断をしなければ
このようなことは、起きていなかったのかもしれない

 

私の留学なんて、ほんのちっぽけな事象で、つまり、
“どうでもいいこと”に分類できると思う

 

けれど、本当に多くの人がこの疫病で亡くなっていて
残された人は、どこに怒りを向けて良いかもわからない

 

身体的死だけではなく、
食いつなぐ生業を失っている人も信じられないほどたくさんいて
流行が終わったとしても、こうした人々の連綿と続いてきた生活は、
もう二度と、帰ってこない

 

根本的原因は人ではないかもしれないけれど、
これは明らかに今や、“人災”の様子を呈している


SNSなどの発達により、私たちが選択的に情報を得られるようになり、
その結果、勝手なフィルタリングで、
見たくないものは見ない
という行動・態度が蔓延しているのではないか、という意見を目にした

 

だとしたら、今回の流行は、
皮肉にも、現代社会の病魔を具現化して浮き彫りにしている、とも言えようか

 

 

 

私が日本海上で泣いてしまったのは、
たまたま、ふと機内の地図を眺めていて、
私がいた場所の位置を確かめた時に、
地図の上に、私たちが接していた大切な人々の姿を見た

 

その時、
ドレスデンから、東方のちっぽけな島国
その無機質な地図上の距離が、あまりにも遠くて

 

あんなにかけがえのない、大切だった日常を、
私は遥か彼方に置いてきてしまったのだ、と
突然、強く自覚したから

 

彼らとは、いつか、どこかで会える
強く結びついている、分かっている

 

それでも私が、
彼らのWohnheimで、
または、私のあの、一人で住むには広すぎた部屋で

 

ビールやコーヒーを飲んだり
ボードゲームで遊んで一喜一憂したり
だらだら喋ったり
一緒に料理をして、食べたり

あのなんと気さくで、見返りを求めない人々との、
気軽な、日々は
泣いても叫んでも、もうどうしたって永遠に帰ってこない

 

私のドイツで達成したかった目標とか、ドイツ語とか、
そんなことは、どうだっていいよ
そんなもの、私の努力と本気度で、いくらでも取り戻せる

 

でもね、
あの日々だけは、絶対に帰ってこない

 

あれだけは、もう
どうしようもない力で、奪われてしまったもの

 

そして、状況が数ヶ月で好転しても、もう戻れないのは、
大陸の遠い東の地からやってきた、私の宿命なんだよ

 

 

 

ただ、乗せられて運ばれていくしかない、飛行機の上で
私は閉めていた心をそっと開けて、
一つ一つの想い出、場面を取り出しては、
対する私の感情を確かめていく

 

そういう作業しかできなくて、
でもそうした作業はひどく、大切だった

 

“まるで、ドレスデンにいたことが、全て夢のようなの”

 

私はあとから、友人にそうしたメッセージを送った

 

“夢のように、尻切れ蜻蛉で
突然終わりが来て、日常に戻っていかなければならなくなったから”

 

でも、本当はぜんぜん、夢なんかじゃない


だから、一つ一つの記憶を、現実と結び付けるために
私の感情と紐付ける必要があったのよ

 

“夜”ということになっている機内で、
こっそり窓を半分だけ開けて、
闇から昇ってくる、暗い橙色の朝日を覗いた

 

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私がこんなに悲しくても、
人間だけがこの病に苛まれていても、
世界は変わらず、営んでいるなと

 

そのことに多分、
私の心はいくらか救われた

 

1.1.2020

 

 

 

“2020”、とタイトル欄を打ちながら、かすかに心が震える

 

あっという間に12月は流れていき、
今日は元旦、今の所一人で寂しく過ごしている

 

とはいえ、一人きりなのは久しぶりで、
これまで毎日欠かさず、と言って良いほど、
誰かと必ず会っていた

 

前回から今日まで、
何をしてたんだっけ、とざっと振り返る

 

20日は休みが始まって一日目、
本当は翌日に恩師と会う予定だったのを勘違いして、
本当にBraues Wunderという橋の近くまで来てしまった

 

本当に馬鹿すぎる、と思いつつも、
たもとに降りて、言葉を失う

 

あまりにもその日は空が澄んでいて
そこからの眺めがあまりに美しくて

 

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21日はようやく恩師とその旦那様と会って、
ドレスデンを散策しながら、色々なことを話した

 

たった1年ちょっとの縁だったのに、
こうして一々立ち寄ってくれる人がいることの、幸運さ
本当に、人の縁って不思議だなと思う

 

その最中に、友人から突然連絡がきて、
夕飯のお誘いが

 

実は次の日からもう一人の子と
ニュルンベルクに行くことになっていたのだけれど、
いかんせんバスが深夜発だったので、
どうしようか、と考えていたところだった

 

彼らは同じ寮に住んでいて、かつ駅近なので、
出発までそこに立ち寄らせていただくことに

 

キムチ炒めご飯を作りたいのだけれど、
生米からの炊き方がわからない、というので、
ご飯だけは私が炊くことに

 

しかし大量に炊いた経験がなく、
火加減がわからなかった故に、少しゆるいご飯になってしまった
でも美味しかったからね、なんでもいいのよ、多分

 

それからニュルンベルクへ向かったのだけれど、
早朝の5時、国境を越えた訳ではないのに、
パスポートコントロールにあたって、恐怖を覚える

 

実は先日からナーバスになっていたのは
私の滞在許可は、一回出国してしまうと無効、という
何故そうなってしまったのか分からない設定になっていたせい

そのせいで、せっかく友人たちとの一大行事、
チェコ旅行に行くかどうかを迷走し始めて、参っていた

 

帰りの道中で、これにあたったら間違いなくアウトだ
けれど、私がチケットを全て取ってしまったし、
最悪でも私のステータス的に強制送還はないだろうし、
それにしても罰金はいくら取られるんだろう、などと、ぐるぐる

 

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ニュルンベルクを観光している間も、
ちょっとしたきっかけでそれが脳裏を掠めて
不安定な感情が旅のお供となってしまった

 

けれど、帰りのバスでは何事もなかったし、
少なくとも五分五分以下であることは分かったから、
少しは安心したのだけれど

 

こうして、一人の休暇が始まるなぁと思っていたのだけれど、
23日、24日と、結局唯一ドレスデンに残っていた友人と
夜から明け方まで、ずっと喋って飲んで、遊び倒して

 

25日は昼間、香港ガールとSemper Operで
くるみ割り人形”を観た
始まる直前に、
そういえば去年も親友と映画のくるみ割り人形を見たなぁ、なんて思いながら
いよいよ、私の友人とクリスマスパーティー

 

すき焼きがしたくて、ネットで調べ倒した結果、
ドレスデンにも薄切りをしてくれるお店があるということで訪れたら、
大行列ができていて、
ちゃんと対応してくれるか心配だったのだけれど

 

注文を言うなり店のおじさんが、
“日本から来たの?すき焼きでしょ?”
と日本語の肉のメニューまで渡してくれて、おっかなびっくり

 

どの店員さんも感じが良くて、
またいつか、絶対訪れると思う(多少家から遠いのが難だけど!)

 

そんな訳で無事にすき焼きは仕上がったし、
みんな満足してくれたみたいで良かった

 

彼女の彼氏が何故かいきなりうちに来てるのは不思議な感じだったし、
まあ、色々ないこともなかったのだけど

 

彼らが帰った後も、
隣の香港ガールと例の友人とは3時くらいまで喋り倒して、
その日はまた解散

 

26日もちょっとした一大事があって、
結局日中は家を出れず、落ち着かない気持ちのまま、
次の日からの旅支度を始める

 

そう、結局私は起こるか分からないリスクの回避よりも、
友達と過ごす時間を取ってしまった

 

意外と、こういうところが私らしさ、なのかもしれないな
なんて思いながら

 

27日からはチェコのブルノという都市へ
ここは友人の第二の故郷で、
その縁でWGを借りることができたのだった

 

ぷらぷら街を歩き、トラディショナルなチェコ料理に舌鼓を打ち、
よく分からないバーに行って、最後はジェンガとキッカーで締める

 

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こう考えると、やってることは、
大してドレスデンにいる時と変わっていないのだな

 

次の日はウィーンへ小旅行
といっても、私は前、結構しっかりとウィーンを観光してしまっていたので、
今回はガイド役として皆を先導した

 

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半日しかなかった割には、そこそこ見せられたんじゃないかな、
と願っているけれど

 

 

 

ブルノに帰ってきて、友人と友人の知人の日本人の女の子たちと合流
食べたインドカレーが最高に美味しくて、
そして2軒目で飲んだビールがあまりに美味しくて、思わず目をひんむいた

 

まあそこまでは良かったのだけれど、
その後、私が個人的に怒りを覚えるようなかなりの事件が起きて、
回復するまでに、一晩を要した

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最後の日は、ブルノ市内をちゃんと散策して、
今度はベトナム料理を食べて、
最後、カフェで大急ぎでケーキを食べてから、
列車へ乗り込む

 

その列車があまりにも快適で、皆びっくり
揺られながら、友人が持ってきたカタンというボードゲームを試す

 

プラハでバスに乗り換えてからは、皆爆睡で、
私は国境を超える直前にふっと目が覚めて、
祈りながら、必死にグーグルマップを眺めていた

 

結局、何事もなくドレスデンへ帰ってこられて、
ほっと一息

 

次の日も何となく夜から友人が遊びにきて、
二人とも酔っ払いすぎて、相手がうちで寝落ちしてしまうというハプニング

 

晦日、ゆるゆると昼過ぎに起き抜けて、
適当に昼食を済ませ、だらだらと彼は帰ったのだけれど、
夜は夜で、また例のボードゲームを遊ぶことになっていたから、
数時間後には会う、と思うとどこか滑稽だった

 

結局私の隣人の香港ガールも一緒に訪問して、
そして彼の同居人もそのフラットにやってきて、
5人でプレイすることに

 

ただ、4人用なので、私と香港ガールがチームを組んだ
結構白熱して、後半に差し掛かったところで、
花火を観に、一旦外へ出る

 

男子二人は爆竹やロケット花火に熱中していたけれど、
怖すぎて遠巻きに眺める女子二人、
その間に立つ私、と大分不思議な感じだったけど

 

エルベ沿い、旧市街側から花火を眺めてながら年越したのだけれど、
もう秩序なく、空から地面から爆音が轟き、
どれがオフィシャルでどれが個人であげているものなのか、
全く分からない

 

それに、カウントダウンもなく、
気づいたら何となく明けてしまった、という始末

 

まあこれはこれで、一つの経験としてね
全く、年越した感ないけれど

 

部屋に戻って、続きをプレイする
せっかく私たちのチームが勝ったのだけれど、
香港ガールは花火の後、すでに家路についてしまっていた

 

でも、誰も眠くなかったので、
もう1ラウンドやることに

結局4時近くまで遊んでいたのだけれど、
後ちょっとで勝てる、というところで、
私の痛恨の(でも防ぎようのないミスで)隣の彼を勝たせてしまい
めちゃくちゃ悔しかったな、、

 

私だけ違う寮だったので、そこから一人で寂しく家路についたのだけれど、
思っていたよりも寒くて、震えながら帰った

 

そして今日は11時過ぎに起き抜けて、
どうしても辛ラーメンが食べたい気持ちになり、
それを食べて、携帯をいじり、またまどろむ

 

さすがに最近遊び過ぎだったし、
危機感もちゃんと肥大しているので、
ちょっとだけ勉強して、夕飯を食べて、
だらだらしながら、今このブログを書いているところ

 

 

 

去年はどんなことをしていたのだろう、と読み返したけれど、
ちゃんと抱負という抱負は書いていなかったのね

 

でも結局、全力で目の前のことに取り組む、しかないんじゃないかな
あまり、よく考えられないや

 

ただ、去年はあまりの周囲の人間の素晴らしさに気づけた年
だとしたら、強いていうならば、
身の回りにいる人々をつくづく大切にしていきたい、と思うし

 

願わくば、
自分が“何をしてあげたか”ではなくて、
自分が“何をしてもらったか”に敏感な人間で、ありたいな

 

24.11.2019

 

 

 

前回投稿した記事を読み直して、
その内容が遥か彼方に思えて
あっという間に、11月が過ぎ行く事実を、受け入れられなくて

 

土曜日は、友人たちとカラオケ
ドイツのカラオケは基本的にバースタイルなのだけれど、
ここのカラオケはたまたまアジアスタイルの、個室

 

歌える歌があるのか、不安だったのだけれど、
YouTubeから直接つなぐタイプだったので、
どの国の歌もそこにはあった

 

けれどまあ、盛り上がるのは英語だし
でも、私には一曲もレパートリーがない

 

こんな時のために、一曲ぐらい歌えるようにしておけばよかったな

 

日本だと、どうしても「上手さ」を気にしてしまうけれど、
こっちの人たちは、本当に心の底から「楽しければOK」
みたいな雰囲気を醸し出していて、
なんだか日本にいた時よりも、カラオケ自体は楽しめたような気がする

 

けれど、残念なことに、
ちょっとしたこと、本当に大したことじゃないのだけれど、
私はその日、心の底から気分が悪くなってしまって

 

その後実は、留学生向けの大規模なパーティーがあったのだけれど、
その気持ちを私は振り切れなかったから、
「これは行くべきではない」と思って、家に向かった

 

しかも、その気持ちを引きずったまま、迎えた日曜日
やらなければならない家事や勉強が溜まっていて、
無理やり手足を動かしていたけれど、どうも回復しない

 

そんな時に台所ですれ違った隣の香港ガールに、
聞いて、とドイツ語で全部、吐き出す

 

話を聞いた彼女は、
実は自分も全く同じような経験をしたし、
なんならこの前旅行に行っていた子との間で起きているという

 

もう、笑ってしまったよ

 

それで気分は治ったけれど、
相変わらず、勉強だけの日は暇だなぁ、
皆に会いたいなぁ、と無意識に感じる

 

そんな自分にはたと気付いて、思わず驚く

 

だって、今まで日本にいた時は、
誰とも会わない日があったって、全く何も感じなかったし、
むしろ邪魔をされないので嬉しいくらいだった

 

やっぱり、留学を決めてから
自分が人間味を少しずつ、取り戻しているように思う

 

月曜日、怠い気持ちを引きずりながら、
中世学の補講に出て、
ビザに向けて必要な書類を印刷していると、
例の香港ガールから連絡が

 

クリスマスにゼンパーオーパーで上演される“くるみ割り人形”を観に行かない?
というお誘い

 

ゼンパーオーパーは学生料金だと10ユーロで見ることができて、
そのチケットは早い者勝ち
そして、もう席は埋まり始めているという

 

本当は明日からくる来客に備えて復習を進めたかったのだけれど、
もうどうにでもなれ、というように、彼女の元へ

 

チケットを手に入れ、馬鹿みたいに往復しているな、
などと思っていると、
最近ずっと連絡を取り合っている韓国人の男の子から
「てか、今日飲まない?」と誘われる
急すぎる?と聞いてくる彼に、ううん、全然OKと返信を入れる

 

とにかく疲れていたし、次のドイツ語も憂鬱だし
モチベを維持するのに良すぎる提案

 

そしてドイツ語の講義の最中に、グループチャットがせわしなく動く
Pegidaのデモを見かけた女の子が、キレていた

 

Pegidaとは反イスラム・排外主義者たちのグループで、

右翼が強いここザクセンでは、残念ながらこのようなデモが頻発する

 

行進しているのは、全員老人だった
それに反対するデモの参加者は30人弱だった
ありえない

 

私たちのグループは、留学生で構成されている
つまり、彼らのデモは私たちへも向けられているわけで

 

私も参加したかったけど、授業中だから叶わなかった

 

彼の家に着いてから、
もう一人の女の子が来るまで、またデモクラシーの話をする
民主主義が全ての国に当てはまるとは思えない、というと
彼は韓国がいかにして民主主義を勝ち取ってきたか、という話をしてくれた
確かに韓国は、民主化の成功例として有名なのだった

 

民主主義じゃなかったら、なんだと思うの、と問われて
私は答えを告げることができない

 

それを考えたくて、この学部に入ったけれど、
まだ全然、答えは出ていない

 

そして彼女が到着し、
くだらない話をしていると、いつの間にか家族の話題にシフト

 

どうしてか、私は彼女に自分がどう思われているか
未だに確信が持てなかったし、
彼女は自分とは違って、さぞかし素敵な家庭で育ったに違いない
私はそう思い込んでいたのだけれど

 

おかしなことに、彼女の抱える問題と、私の抱える問題が
恐ろしく似ていたことを、ここでようやく知る

 

私は、私の考えを彼女に告げたら、彼女は私を軽蔑するのではないか
そう思っていたけれど、実際は真逆で、相当な理解を示してくれた

 

「だから僕は二人を招いたんだよ」
なんて彼は茶化して言っていたけれど
後付けにしろ、なんにしろ、とにかくありがたかった

 

けれど、恐ろしいことに、
この後この二人の間で激しい口論が起こって、
完全な和解のないまま(それでも彼女が許しているのは分かったけれど)
彼女が家を出てしまっていた

 

時刻はすでに午前2時
私もそろそろ帰らなければならない時間だったけれど、
この状態の彼を置いていくことなど、できるはずもなく

 

酷く落ち込んでいる彼に、
「私だって全然良い人間じゃないよ」と土曜日のことを打ち明ける

 

正直、彼に話さないべきなのは分かっていたけれど、
それでも迷っていたのは、
土曜日の別れ際の時点で、
彼だけが私の異変に気付いているような顔つきをしていたから

 

本当は内容に立ち入るつもりはなかったけれど、
話して、とせがまれたので
一通り話を終えると、彼は「分かるよ」と理解してくれた

 

そうしてまた遅い時間に帰って、
次の日もなんとか午前中に起きて、授業に出て、
近所のミュージアムで行われていた、
展示開始祝いのパーティー兼展示場に顔を出して、

いよいよ、大親友を迎えに、中央駅へ向かった

 

見た瞬間、飛びついてしまった
彼女がいるというだけで、ドレスデンがまるでドイツではないみたいだった
その日中に、ずっと溜め込んでいた話を話して、
寝たのはまた午前2時過ぎ

 

ここから、怒涛の寝れない日々が始まるのだけれど、
こんなに寝れなかった一週間は、ドイツに来てから初めてかもしれない

 

次の日はたまたま祝日で、一緒にAltstadt観光
観光の機会を逃しに逃しまくっていた私も、本気の観光

 

結局、アルテマイスター絵画館、陶磁器コレクション、
最高のバーガーランチを挟み、
アルベルティーヌム、ドレスデン城を最後に駆け足で

 

それから本当は友人の家に招かれる予定だったのだけれど、
体調が悪くなってしまった、ということで、取りやめに

 

残念な気持ちを引きずって、家に帰ったのだけれど、
隣の香港ガールを呼んで談話したのは
それはそれで良かった

 

そうしたら、例の彼が
「明日時間あるよ!」と言ってくれたので、
明日皆良かったら飲みに行かない?と聞いたら、
体調の悪かった彼女が、
「明日ならきっと平気だから家でご飯食べよう!」
と声を掛けてくれて

 

もう私も友人も、感動に包まれたよね、本当に

 

そんなこんなで次の日は、私が授業を出た後に合流、
Neustadtの方を縦横無尽して、
疲れ切った私たちは、一旦家に戻ってくる

 

それから友達の家に向かって、
手料理を振舞ってもらったのだけれど、
久々の英語縛りに、何人か口数は少なくなっていたし、
当然私もその一人

 

けれど途中から始めたカードゲームは盛り上がったし、
お手製グリューワインも彼女は楽しめたし

 

双方に、双方のことを紹介できて、
もう本当に素晴らしかったな

あくる日はベルリン行き
せっかく早く行ったのに、なんと停留場を間違えて、
予約していたバスを逃すという非常事態

 

まあでも私からすれば、こんなのは慣れっこだ
ポルトガルですでに、散々苦しんだ

 

ベルリンについて、友達と合流し、
美味しい中華を嗜んで、
それからベルリン組とショッピングやら、カフェ散策やら

 

溜まっていた話を一気に吐き出して、
途中、いろいろ突っ込まれたりして、
ううう、となりながらも、
彼女たちの言うことは正論で
(というか私を非難するつもりもなく、心配してくれている)

 

まあそれにしても、やはり私の置かれている状況は
客観的に見てもストレスフルであったことが分かって、安心する

 

自分で決められない、
自分が責任を負いたくない、
全て人に丸投げ、という人は、よくいるけれど
私はそういう人が一番苦手だし、関わりたくない

 

それでも、出会ってしまうものは仕方ないし
けれど、そういう人のために、私が全て身を削る必要なんて
一つもないのに、何故そこに固執していたのだろう

 

そうして最後も飲みに行って、色々話して、
名残惜しいけど解散、となるはずのところが、
まさかのホテルにチェックインできないという事故が発生して
結局3人そのまま一人の家になだれ込むことに

 

だらだら起き抜けて、遅すぎるブランチを食べて、
夕方は一人でぶらぶら歩いた

 

ベルリンを歩くときは、
何故だか本当に、一人の時が多い

 

正直ベルリン観光に対するモチベがなさすぎて、
色々ミスってしまったみたいな節があるけれど
結局、本屋さんを巡っているだけでも、楽しくて

 

というか、結局私は、
どの土地にいても、紙と文字を求めてしまうのだな、と苦笑


それから親友と合流して、お土産を見て、
何度目かのカリーヴルストを食べて、
バスに乗り、ドレスデン

 

戻って来て、終わってしまったね、と呟く
結局、早く寝ないとと言いつつ、
ポツポツ喋っていると、時刻は午前3時近くで

 

次の日、私が寝坊して、起きて10分で家を出る
そして、またブランチを楽しんで、他愛もない話を繰り返して
でも、列車の発車時刻は刻一刻と迫っていて

 

駅につくと、もう列車は到着していて
最後、車内でずっと名残惜しく、言葉を交わして
ピー、という甲高いベルの音にびっくりしながら、
文字通り、列車を飛び出す

 

呆気なく列車は走り抜けて行って、
なんだか、呆然としてしまった

 

次に会えるまでは、今まで会えなかった期間よりも
遥か長い時間が空いてしまうのだろう

 

それまで、それぞれの場所で頑張るしかないのだけれど

夜、昨日彼女と話していたこと、
アイデンティティの話を思い出す

 

私の人格、性格、特徴ってなんだっけ
今日は疲れすぎているのもあるけれど、
全く机に向かえる気がしなくて
焦っているのに

 

けれど、何故か冬の夜空の下、
ゴミ出しをしている最中に、
「ああ、私のアイデンティティって、戦いだったな」
と、思い出す

 

あまりにも今、やさしい空気に取り囲まれていて
だからこそ、自律性をちょっとだけ失っていて

 

けれど、私が今までの人生で動力源にしてきたのは、全て
何かに対する「怒り」だった
世界に対する、他人に対する、そして自分に対する

 

今これを書きながら、何故思い出したのか、分かった
中2で全てが上手く行っていなかった時期、
それでも私は毎晩、部屋着で外に繰り出して、
100回の素振りを繰り返していた

 

別に、ソフトボールが好きなわけではなかったけれど
自分が凡人なのは分かっていたから、努力を重ねた
そうしていれば、言い訳の必要はなかったから

 

未熟だった、あの頃
それでも私は、凡人な私をしっかりと受け止めていたのだな

 

あの後辺りから、私は装うのが上手くなって、
あまり周りから「凡人扱い」されなくなって
自分自身と他人が見ている虚像の乖離が大きくなって
それがいいことなのか、悪いことなのか分からなくて

 

だから、力を使うのは、常に私の視点で、
不公平だと思うことに対してだった
そういった意味での「怒り」だった

 

そして今は、コンスタントに“怒れる私”は存在しないのかもしれない

 

けれども、
多分、今怒りを向けるべきは、
他者でもなく、世界でもなく
ある側面では凡庸である自分を(誰だってそうなのに)
受け入れられなくて、見て見ぬ振りをしようとしている

 

つまり、まぎれもなく、
自分自身だ

 

辛くても、失敗したくないから諦める、なんてダメだ
それに全ての側面で、他人の長所と比べても仕方がないのに

 

はあ、こんなことは、当たり前のこと

 

他人の前では装っていても、
実は負けず嫌いでプライドが高くて頑固な私

 

いつになったらもっと、
大人になれるのかしらね