あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

24.11.2019

 

 

 

前回投稿した記事を読み直して、
その内容が遥か彼方に思えて
あっという間に、11月が過ぎ行く事実を、受け入れられなくて

 

土曜日は、友人たちとカラオケ
ドイツのカラオケは基本的にバースタイルなのだけれど、
ここのカラオケはたまたまアジアスタイルの、個室

 

歌える歌があるのか、不安だったのだけれど、
YouTubeから直接つなぐタイプだったので、
どの国の歌もそこにはあった

 

けれどまあ、盛り上がるのは英語だし
でも、私には一曲もレパートリーがない

 

こんな時のために、一曲ぐらい歌えるようにしておけばよかったな

 

日本だと、どうしても「上手さ」を気にしてしまうけれど、
こっちの人たちは、本当に心の底から「楽しければOK」
みたいな雰囲気を醸し出していて、
なんだか日本にいた時よりも、カラオケ自体は楽しめたような気がする

 

けれど、残念なことに、
ちょっとしたこと、本当に大したことじゃないのだけれど、
私はその日、心の底から気分が悪くなってしまって

 

その後実は、留学生向けの大規模なパーティーがあったのだけれど、
その気持ちを私は振り切れなかったから、
「これは行くべきではない」と思って、家に向かった

 

しかも、その気持ちを引きずったまま、迎えた日曜日
やらなければならない家事や勉強が溜まっていて、
無理やり手足を動かしていたけれど、どうも回復しない

 

そんな時に台所ですれ違った隣の香港ガールに、
聞いて、とドイツ語で全部、吐き出す

 

話を聞いた彼女は、
実は自分も全く同じような経験をしたし、
なんならこの前旅行に行っていた子との間で起きているという

 

もう、笑ってしまったよ

 

それで気分は治ったけれど、
相変わらず、勉強だけの日は暇だなぁ、
皆に会いたいなぁ、と無意識に感じる

 

そんな自分にはたと気付いて、思わず驚く

 

だって、今まで日本にいた時は、
誰とも会わない日があったって、全く何も感じなかったし、
むしろ邪魔をされないので嬉しいくらいだった

 

やっぱり、留学を決めてから
自分が人間味を少しずつ、取り戻しているように思う

 

月曜日、怠い気持ちを引きずりながら、
中世学の補講に出て、
ビザに向けて必要な書類を印刷していると、
例の香港ガールから連絡が

 

クリスマスにゼンパーオーパーで上演される“くるみ割り人形”を観に行かない?
というお誘い

 

ゼンパーオーパーは学生料金だと10ユーロで見ることができて、
そのチケットは早い者勝ち
そして、もう席は埋まり始めているという

 

本当は明日からくる来客に備えて復習を進めたかったのだけれど、
もうどうにでもなれ、というように、彼女の元へ

 

チケットを手に入れ、馬鹿みたいに往復しているな、
などと思っていると、
最近ずっと連絡を取り合っている韓国人の男の子から
「てか、今日飲まない?」と誘われる
急すぎる?と聞いてくる彼に、ううん、全然OKと返信を入れる

 

とにかく疲れていたし、次のドイツ語も憂鬱だし
モチベを維持するのに良すぎる提案

 

そしてドイツ語の講義の最中に、グループチャットがせわしなく動く
Pegidaのデモを見かけた女の子が、キレていた

 

Pegidaとは反イスラム・排外主義者たちのグループで、

右翼が強いここザクセンでは、残念ながらこのようなデモが頻発する

 

行進しているのは、全員老人だった
それに反対するデモの参加者は30人弱だった
ありえない

 

私たちのグループは、留学生で構成されている
つまり、彼らのデモは私たちへも向けられているわけで

 

私も参加したかったけど、授業中だから叶わなかった

 

彼の家に着いてから、
もう一人の女の子が来るまで、またデモクラシーの話をする
民主主義が全ての国に当てはまるとは思えない、というと
彼は韓国がいかにして民主主義を勝ち取ってきたか、という話をしてくれた
確かに韓国は、民主化の成功例として有名なのだった

 

民主主義じゃなかったら、なんだと思うの、と問われて
私は答えを告げることができない

 

それを考えたくて、この学部に入ったけれど、
まだ全然、答えは出ていない

 

そして彼女が到着し、
くだらない話をしていると、いつの間にか家族の話題にシフト

 

どうしてか、私は彼女に自分がどう思われているか
未だに確信が持てなかったし、
彼女は自分とは違って、さぞかし素敵な家庭で育ったに違いない
私はそう思い込んでいたのだけれど

 

おかしなことに、彼女の抱える問題と、私の抱える問題が
恐ろしく似ていたことを、ここでようやく知る

 

私は、私の考えを彼女に告げたら、彼女は私を軽蔑するのではないか
そう思っていたけれど、実際は真逆で、相当な理解を示してくれた

 

「だから僕は二人を招いたんだよ」
なんて彼は茶化して言っていたけれど
後付けにしろ、なんにしろ、とにかくありがたかった

 

けれど、恐ろしいことに、
この後この二人の間で激しい口論が起こって、
完全な和解のないまま(それでも彼女が許しているのは分かったけれど)
彼女が家を出てしまっていた

 

時刻はすでに午前2時
私もそろそろ帰らなければならない時間だったけれど、
この状態の彼を置いていくことなど、できるはずもなく

 

酷く落ち込んでいる彼に、
「私だって全然良い人間じゃないよ」と土曜日のことを打ち明ける

 

正直、彼に話さないべきなのは分かっていたけれど、
それでも迷っていたのは、
土曜日の別れ際の時点で、
彼だけが私の異変に気付いているような顔つきをしていたから

 

本当は内容に立ち入るつもりはなかったけれど、
話して、とせがまれたので
一通り話を終えると、彼は「分かるよ」と理解してくれた

 

そうしてまた遅い時間に帰って、
次の日もなんとか午前中に起きて、授業に出て、
近所のミュージアムで行われていた、
展示開始祝いのパーティー兼展示場に顔を出して、

いよいよ、大親友を迎えに、中央駅へ向かった

 

見た瞬間、飛びついてしまった
彼女がいるというだけで、ドレスデンがまるでドイツではないみたいだった
その日中に、ずっと溜め込んでいた話を話して、
寝たのはまた午前2時過ぎ

 

ここから、怒涛の寝れない日々が始まるのだけれど、
こんなに寝れなかった一週間は、ドイツに来てから初めてかもしれない

 

次の日はたまたま祝日で、一緒にAltstadt観光
観光の機会を逃しに逃しまくっていた私も、本気の観光

 

結局、アルテマイスター絵画館、陶磁器コレクション、
最高のバーガーランチを挟み、
アルベルティーヌム、ドレスデン城を最後に駆け足で

 

それから本当は友人の家に招かれる予定だったのだけれど、
体調が悪くなってしまった、ということで、取りやめに

 

残念な気持ちを引きずって、家に帰ったのだけれど、
隣の香港ガールを呼んで談話したのは
それはそれで良かった

 

そうしたら、例の彼が
「明日時間あるよ!」と言ってくれたので、
明日皆良かったら飲みに行かない?と聞いたら、
体調の悪かった彼女が、
「明日ならきっと平気だから家でご飯食べよう!」
と声を掛けてくれて

 

もう私も友人も、感動に包まれたよね、本当に

 

そんなこんなで次の日は、私が授業を出た後に合流、
Neustadtの方を縦横無尽して、
疲れ切った私たちは、一旦家に戻ってくる

 

それから友達の家に向かって、
手料理を振舞ってもらったのだけれど、
久々の英語縛りに、何人か口数は少なくなっていたし、
当然私もその一人

 

けれど途中から始めたカードゲームは盛り上がったし、
お手製グリューワインも彼女は楽しめたし

 

双方に、双方のことを紹介できて、
もう本当に素晴らしかったな

あくる日はベルリン行き
せっかく早く行ったのに、なんと停留場を間違えて、
予約していたバスを逃すという非常事態

 

まあでも私からすれば、こんなのは慣れっこだ
ポルトガルですでに、散々苦しんだ

 

ベルリンについて、友達と合流し、
美味しい中華を嗜んで、
それからベルリン組とショッピングやら、カフェ散策やら

 

溜まっていた話を一気に吐き出して、
途中、いろいろ突っ込まれたりして、
ううう、となりながらも、
彼女たちの言うことは正論で
(というか私を非難するつもりもなく、心配してくれている)

 

まあそれにしても、やはり私の置かれている状況は
客観的に見てもストレスフルであったことが分かって、安心する

 

自分で決められない、
自分が責任を負いたくない、
全て人に丸投げ、という人は、よくいるけれど
私はそういう人が一番苦手だし、関わりたくない

 

それでも、出会ってしまうものは仕方ないし
けれど、そういう人のために、私が全て身を削る必要なんて
一つもないのに、何故そこに固執していたのだろう

 

そうして最後も飲みに行って、色々話して、
名残惜しいけど解散、となるはずのところが、
まさかのホテルにチェックインできないという事故が発生して
結局3人そのまま一人の家になだれ込むことに

 

だらだら起き抜けて、遅すぎるブランチを食べて、
夕方は一人でぶらぶら歩いた

 

ベルリンを歩くときは、
何故だか本当に、一人の時が多い

 

正直ベルリン観光に対するモチベがなさすぎて、
色々ミスってしまったみたいな節があるけれど
結局、本屋さんを巡っているだけでも、楽しくて

 

というか、結局私は、
どの土地にいても、紙と文字を求めてしまうのだな、と苦笑


それから親友と合流して、お土産を見て、
何度目かのカリーヴルストを食べて、
バスに乗り、ドレスデン

 

戻って来て、終わってしまったね、と呟く
結局、早く寝ないとと言いつつ、
ポツポツ喋っていると、時刻は午前3時近くで

 

次の日、私が寝坊して、起きて10分で家を出る
そして、またブランチを楽しんで、他愛もない話を繰り返して
でも、列車の発車時刻は刻一刻と迫っていて

 

駅につくと、もう列車は到着していて
最後、車内でずっと名残惜しく、言葉を交わして
ピー、という甲高いベルの音にびっくりしながら、
文字通り、列車を飛び出す

 

呆気なく列車は走り抜けて行って、
なんだか、呆然としてしまった

 

次に会えるまでは、今まで会えなかった期間よりも
遥か長い時間が空いてしまうのだろう

 

それまで、それぞれの場所で頑張るしかないのだけれど

夜、昨日彼女と話していたこと、
アイデンティティの話を思い出す

 

私の人格、性格、特徴ってなんだっけ
今日は疲れすぎているのもあるけれど、
全く机に向かえる気がしなくて
焦っているのに

 

けれど、何故か冬の夜空の下、
ゴミ出しをしている最中に、
「ああ、私のアイデンティティって、戦いだったな」
と、思い出す

 

あまりにも今、やさしい空気に取り囲まれていて
だからこそ、自律性をちょっとだけ失っていて

 

けれど、私が今までの人生で動力源にしてきたのは、全て
何かに対する「怒り」だった
世界に対する、他人に対する、そして自分に対する

 

今これを書きながら、何故思い出したのか、分かった
中2で全てが上手く行っていなかった時期、
それでも私は毎晩、部屋着で外に繰り出して、
100回の素振りを繰り返していた

 

別に、ソフトボールが好きなわけではなかったけれど
自分が凡人なのは分かっていたから、努力を重ねた
そうしていれば、言い訳の必要はなかったから

 

未熟だった、あの頃
それでも私は、凡人な私をしっかりと受け止めていたのだな

 

あの後辺りから、私は装うのが上手くなって、
あまり周りから「凡人扱い」されなくなって
自分自身と他人が見ている虚像の乖離が大きくなって
それがいいことなのか、悪いことなのか分からなくて

 

だから、力を使うのは、常に私の視点で、
不公平だと思うことに対してだった
そういった意味での「怒り」だった

 

そして今は、コンスタントに“怒れる私”は存在しないのかもしれない

 

けれども、
多分、今怒りを向けるべきは、
他者でもなく、世界でもなく
ある側面では凡庸である自分を(誰だってそうなのに)
受け入れられなくて、見て見ぬ振りをしようとしている

 

つまり、まぎれもなく、
自分自身だ

 

辛くても、失敗したくないから諦める、なんてダメだ
それに全ての側面で、他人の長所と比べても仕方がないのに

 

はあ、こんなことは、当たり前のこと

 

他人の前では装っていても、
実は負けず嫌いでプライドが高くて頑固な私

 

いつになったらもっと、
大人になれるのかしらね