あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

14.3.2020

 

ほぼ丸々一ヶ月、この場所を放棄していて、
当然、その間にも色々な出来事は起きていた
なんなら、昨日まで私はトルコにいた

 

けれど、その諸々の出来事とか、
旅行のこととか、
そのうち書くかもしれないけれど
今はそれどころではなくて

 

 

2019年のおわりから、2020年のはじまりにかけて
中国の一都市で発生した、コロナウイルス

 

当時から今まで
日本を含めた東アジアの心配こそしていたけれど、
それでも、どこか遠くて、他人事だった

 

それがこの数週間で、瞬く間のうちに欧州へ広がった

 

それでも三月のはじめは、楽観視していた
「ヨーロッパの人はこうした災害に慣れていないけど
どんな反応をするんだろうね」
などと友人と話していたくらい

 

けれど、いまはこの旧大陸が、
パンデミックの中心地だ

 

 

 

一昨日、カッパドキアのホテルで私たちが受け取った
チェコ人の友人からのメッセージ

 

普通ではない様子の彼に、大丈夫?と聞くと
震える声で、Nein と告げる彼

 

たまたま家族の元に帰省しようとしていた彼女
その最中に、チェコ政府が、30日間の出国を禁じた
それだけなら、まだいい

 

それに伴って、彼女の大学が
いかなる事由に関わらず、現在チェコにいる学生に、
次ゼメスターのエラスムスを終了させる旨の通告を出してきた

 

内容は、あまりにも残酷で、
電話越しに聞こえる声は、まだ涙で濡れていて

“ドイツに残りたい、まだ勉強したい、
でも95%、もうダメだとおもう”

“悔しくて、自分の無力さを感じて、今日は一日中、泣いてることしかできなかった”

 

彼女は私たちのグループの、いわば主柱的存在で、
彼女無しには私たちのグループは成立していないし、
たぶんグループの誰しもが、
一度や二度、彼女に救われているはずだ

 

私も、彼も、その救われた人たちの一人で、
特に彼にとっては、おそらくドレスデンで一番の、そして最愛の親友だったとおもう

 

さすがの彼も、彼女の前では楽観的に、沈まないように心がけていたけれど、
その後、私の前では、長旅の疲労もあって、
完全に落ちていたし、半泣きだったんじゃないかな

 

不運なことに、フライトの関係で私たちはその夜
一睡もしないまま空港へむかわなければならなかった

 

私たちはウォッカのボトル、半分を呑み干したけれど、
まったくそれは、私たちの助けにならなくて
気持ちは張り詰めた、まま

 

 

同時に私は、同じようにドイツに留学している仲間の
チャットが動いているのを見つめる

 

私だって、他人事ではない
大学からは、外務省がドイツをレベル2の危険地域に指定したら、
即座に日本に帰るように求められている

 

それに、従うか従わないかは、自分次第で、
従わなかったらどんな措置が取られるのか、
全然、不透明だけれど

 

 

 

私は、まだここでやりたかったことを、全然達成していない
もちろん、欧州旅行もそうだけれど、それは後からなんとでもなるとして
私のドイツ語は、まだまだ未熟で、
ようやくB2に達したかな、くらいだし

 

この旅行中、日本語や英語の登場回数が多かったことで、
急に自分のドイツ語能力が落ちたことを、自覚した

 

もちろん、たぶん勉強したり、元の生活に戻れば
数日で回復するだろうけれど、
要は、そういうこと

 

きっとこのまま日本に戻ったら、
大半を忘れ去ってしまうんだろうし、
つまり、私の言語能力は未だ、砂上の楼閣なわけで

 

 

 

大学は4月27日までは少なくとも休校になり、
次ゼメスターは本当に始まるのか、分からない
けれど、ここにできるだけ、残っていたいとおもうんだ

 

まだ友人と別れる決断はできないし、
この状態で日本に帰るなんて、
私の感覚からしたら、全然、ありえない

 

急に、“国家と国境”の存在を、つよく意識に落とされたようにおもう

 

欧州統合、と言っても、国境はまだ根深く、
国家や組織の権力には、どうしたって個人は逆らえない
それは合理的だけれど、
私の理性と精神は、完全に不整合を起こしている

 

大抵は母語話者でなくて、
共通語は英語でもなくて、それでもいつも同じ言葉で喋っていて

 

それでもこんなに簡単に、偶発的なファクターによって、
私たちはとつぜん、抗えない力によって離れ離れになってしまう

 

何が起きているのか、把握できない
何が起きたのか、身体が理解しようとしない

 

つまり、“善い・悪い”で分けられる話ではない
そうしたテーマに、はじめて当事者として対面したような気がする

 

ほんとうは世界に存在する大半の物事は、こうした基準では判断できない
それでも私たちの大半は最初、主観で裁ってしまうけれど

 

誰の目線で、何を決断したらよいのか
私は、私たちは、それをさく、と決められるほどに、
まだまだ、賢くない

 

 

 

6.2.2020

 

とにもかくにも、冬学期は今日でおしまい
Hausarbeitを残していない私は、
今日から本当に、自由の身

 

あれだけ時間をかけてやったにも関わらず、
中世学の試験は、半分の点数をどうにか稼ぐことができたか、
100パーセントの自信を持って断言できない

 

でもまあ、私はベストを尽くした、とだけは胸を張って言える

 

結局、試験前は徹夜はせず、
それでも三時間近くしか寝ていなかったので、
とりあえず帰ってきて、昼寝をしたのだけれど
全て終わった興奮からか、うまく寝付けない

 

その後寝付けたのは良かったんだけど、
ちょっと夢の内容が穏やかではなかったのもあって、
三時間ほどで起き上がる

 

これは、目覚ましをかけなかった睡眠にしては
はるかに短い、私の基準だと

 

それは多分、いまやらなければならないことを背負っていないから、
眠りに逃げる必要がないゆえだ、と気づく

 

これはある意味、
今まで課題などなかったにしろ、ゼメスターの間
相当知らぬうちに負荷とプレッシャーをかけていた証拠、
と言えるだろうか

 

 

それにしても母語ではない言語での試験って、
こういうことなのか、と

 

内容を理解するのも一筋縄ではいかないのに、
専門用語の詰め込み、それを説明するための語彙のインプット

 

当然それらは一週間準備に費やせたとしても、
十分な時間ではなかった

 

もし試験に落ちたとしても、
やっぱり多少は落ち込むかもしれないけれど
それでも“無駄だった”とはぜんぜん思えないし、
むしろこの講義を通じて、思わぬ収穫を得た

 

本来はVorlesungだけを受けようと思っていたにも関わらず、
割と音声学や言語史に関する文法のコースの内容の方が面白くて
(講義の方が難しすぎて、内容理解が半端になっている、というのもある)
やっぱり、もっといろんな種類の言語に触れてみたいと思った

 

Vorlesungでも興味深かったのが、
NiebelungenliedやTristanまではなんとか聞けていたけれど、
Minnesangの分野に入った瞬間に、途端に私自身が、興味を失ったこと

 

まあ、前者の二つもかなり恋愛がテーマになってくるんだけど
私は本当に恋愛ものがダメで
試験前も、勉強していてこの分野が近づいてくるごとに
憂鬱になって、気が散っていた、笑

 

そしてやっぱり、歴史、というか
伝説や神話、古いものに興味が湧いているのは相変わらず、
という自分の存在も再確認する

 

北、に興味を持ち始めたのは何故だったか
最近よく思い出せずにいたけれど、そうだ、
古い文化に対する憧憬、だったな

 

 

今は正直、なにもしなくてもいい、という状況が信じられなさすぎて、
起き上がってベットの上、ひとりぼうっとしているのだけれど
この春休み、やりたいことは腐るほどあって

 

創作、言語、遊び、旅行、読書


寝る間も惜しいくらい
あくまで私の理想の中では、だけれど

 

体調だけは崩さぬように、
でもできるだけ、最後の人生の自由を
ここで謳歌していきたい

 

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これは、おとといの空模様、
二枚とも同じ場所から撮っている、裏表
駅前でどうも変な天気だな、と思っていたら
最寄りに着いてから、
バラバラとものすごい音の雨、
いや、その正体は雹

 

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ザクザクと白い粒を踏みしめながら、
晴れ間の見える空を眺めながら、
雹に打たれて、帰る

 

なんだか、私が今置かれている状況を表しているみたいで、
不思議な気持ちに、なった

 

29.1.2020

 

今日は、初めての試験

 

この歴史の講義は、史料以外には何も配られないし、
先生が一々板書をしてくれるわけでもない

 

だから、全て私の耳で聴きとらなければいけなくて
家に帰ってから録音を必死に聴き齧って
一回の講義の復習がそれだけで8時間に達してしまったりも、した

 

けれど、教授は本当に優しくて、
母国語ではない私に相当のアドバンテージを与えてくれた

 

特別、口頭試験にしてもらって
かといって喋りが得意ではない私は、
その旨を伝えるメールが来た時は、どきどきしたし

 

昨日の夜も、いざ真っ白になってしまったらどうしよう、と
少しだけ慌てふためいたけれど
でも、この講義のために
惜しみなく注いできた労力、時間のことをふと思ったとき、
今まで感じたことのない種類の自信が湧いて来た

 

これまでに、私はここまで一人で努力したことが、あっただろうか
誰の手も借りずに、(私からすれば)無理難題ともいえるものを、
必死に乗り越えようとしたことが、あっただろうか

 

いつもそばに、手を貸してくれる人がいた
だから、なんとなく、乗り越えられてきたのではないか

 

 

自分が完璧主義なのかどうなのか
分からなくなるときは、すごく多い

 

普段、適当なところは適当にほっぽっておくくせに、
妙にこだわりの強い部分では頑固になって
何物も寄せ付けまいとするような

 

そういった、自分でもよく分からない力に左右されることが
少なくない私の人生

 

それでも、“やり遂げた”感覚を肌身で感じられる瞬間は、
そんなに多くない

 

そのモードに入ると、ほんの些細なところでも
他者に甘えている自分を見逃すことができなかったから

 

 

結果は、合格
甘く見てもらってるから、当たり前なのだけれど
それでも、これまでで二つの単位が確定したわけで

 

この単位が日本で使えるかと言われれば、全く無用なのだけれど
それでも確かに“やり遂げた”という目に見える証は、どうしても欲しい

 

安心しきって、向かう先は本屋
来学期、スウェーデン語を取るかどうかを、真剣に悩んでいる
その参考書や他の辞書類を覗きに行ったのだけれど

 

急に、中高時代の自分のことを思い出す

 

常に誰かに見られているような、
評価の対象とされているような


電車でも、教室でも、
雑貨屋でも、自分の部屋でも
どこにいても、息苦しさを感じていた
制服姿の自分

 

そんな時期でも、本屋にいる時だけは
私は全く息苦しさを感じなかった
“ここは私の場所だ”
そう、心から思える唯一の場所だった

 

どんなに本から距離が遠ざかっていたとしても
本が立ち並ぶ書棚の前が、私の原点であって

 

それは並ぶ本の言語が変わっても
例えそれらを自在には読めなかったとしても

 

私にとってそれは、
世界のどこにたっていても変わらない“事実”だ

 

変化は大切だし、
物事が不動だとすれば、そんなに恐ろしいことはない、と
以前ここへ書き記したように思う

 

けれども、変化しない座標軸がどこかにあるからこそ
日々瞬く間に変わりゆく物事、そして自分自身を
息をついて、見つめられるのだと思う

 

苦しかったね、あの頃の私
よくここまで、逃げおおせてきたね
今、私を取り巻く環境、私自身をみつめなおして、思う

 

あの頃から、私の軸はそんなに変わっていない

 

けれど今にも折れそうで、時折からっぽの、
頼りない私の主軸を
ささえるための支柱を築くこと、中身を充実させること
その努力が、最近じわりじわり、と実ってきているのを感じる

 

選択に不正解、なんてないのかもしれないけれど
それでも私がひとり、こっそりと続けてきた何気ない試みは
ぜんぜん、不毛でも無駄でもなかったんだな、と

 

 

まあ、試験がひとつ終わっただけで
一番重たい試験はまだ残っているし、
ぜんぜん、気は抜けないのだけれど

 

今は疑わずに信じること
前に進むのみ、かな

 

24.1.2020

 

毎日毎日、1限か7限を往復する生活
休日は大体勉強に追われて家にこもっていて、
出かけるとしたら、日が暮れてから

 

そんな生活を連綿と続けていたので、
いつしか、冬の澄んだ夕暮れを忘れてしまっていた

 

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月曜日、ドイツに来てから初めて、授業を休んだ
実際、朝から身体の調子はどこか悪かったのだけれど、
まあこれは、いわゆるサボり

 

すごく、変な感じがしたけれど、
日本にいた時もそういえばこんな気持ちだったな、と

色んなことで、心が不安定になると
私はいつも、こうだ

 

こちらに来て、精神的なストレスが
がくっ、と減って
この状態の“私”をすっかり忘れていたけれど

 

それでも、日本にいる友人から
「病んだりしなそう、いつも笑っているイメージ」
と言われて、
そんなに私は装うのが上手かったのかしら、と首をかしげる

 

勿論、来たる試験もそうだけれど、
私の心がおかしくなってしまうのは、大体人間関係のせい

 

人前では

“全然繊細じゃないから、繊細な人の気持ちが分からないことがある、
だから、直接言ってね”

と言うことが多いけれど

 

私自身は、人が思っているより、というか人並み以上に
自分が繊細な心を持っていることを、実は知っている
だから、繊細さを前面に出せる人が、
心底羨ましくて、ちょっと妬ましい

 

私が育ってきた環境は、
私の繊細さを許容しなかったし、
それは、死を意味していた

 

だから、私はこれでも必死に鎧を打って、
ずるずるしょい込んで生きてきた
滑稽だけど、これが私の自律の方程式
私の誇りでもある

 

だから自分の“繊細さ”に対して疑いなく生きている人間が、
微妙に苦手だし、というか絶対に負けたくない、と思ってしまう

 

でも、いつも負けてしまうのよね
その方が、他の人に構ってもらいやすいから

 

あーあ、と遠くで苦笑いをしているのが、いつもの私だ

 

 

加えて、私は直感がいやに強いので、
異変に、いち早く気付くことができる
それは下手すれば、本人よりも早いのではないか、というくらい

 

けれど、仮に気付いたとしても
解決策をすぐに打ち出せるわけじゃないし、
さくっとその場で口にする勇気があるわけでもない

 

結果、私の方が周りからすればおかしな態度を取ることになり、
でもそれを救う方法を、私はまだちゃんと発明していない
もう21歳、いい大人だというのにね

 

他人に余計な気を使わせた、と思えば思うほど
自己嫌悪は加速度的に心を満たしてゆくし

 

 

大丈夫だよ、
全然、誰も私のことを嫌ったりなんかしていない
(少なくとも、今仲良くしてくれている人々は)

 

分かっているのに、気持ちが落ちていると、
変に自意識過剰になって、人を遠ざけてしまう
これも、昔からの悪い癖

 

究極には、
私のせいで、誰も不快な思いをして欲しくない

 

その想いが
過剰で尖っているから、
結局誰かのことを、刺してしまうんだろうな

 

 

とはいえ今週は
まだ確定じゃないけど、嬉しいニュースも飛び込んできて、

 

でもそれによって結構私のプランがぐらついてきて

 

(まあ、この一人のためにぐらつく私の来学期のプランよ、
と突っ込みたい、というかもう何十回も突っ込んでる)

 

あーあ、もう計画するだけ無駄だなぁ!

 

 

“昨日の予想が感度を奪うわ”

 

閃光少女を耳元でなびかせながら、
夕暮れの空の下を歩くと

 

出し惜しんでる場合じゃない、と
異国の地でも少し、胸を張って足を踏み出せる

 

“私は今しか知らない”

 

 

きっと全ては
光の速さで過ぎ去ってしまうのだから

 

19.1.2020

 

私のよくないところは、
いつだって、いくつかのものに“だけ”依存しようとするところだ

 

私は、私の感覚と直感を、私自身よりも信頼していて、
だから自分自身にいくら自信がなかったとしても、
私は自分が誤った選択をした、と後悔したことはほとんどないし、
ほんとうの意味で選択に迷ったことは、あまりない

 

だけれど、そのベストチョイスを信用しすぎて、
他の選択肢を、時にざっくりと切り捨ててしまう時がある

 

それは私の怠惰な性格、
たくさんの物事を一度に抱えるキャパがないことが原因

 

居心地がいいところにばかり
留まろうとしてしまう

 

加えて
「この場所を得るために、私は冒険した」
と考えて、正当化すらしてしまう時がある

 

安定を求めている割に、いつも不安定なのはそういうこと
少ない柱で効率的に支えようとするから、
一本でも折れてしまうかもしれない、と考えると
死ぬほど不安になって、
朝日を恨んで、殻にずっとこもっていたくなるんだな

 

 

最初から分かっていたし、
最初の方は間違えていなかったのに、
いや今だって間違ってはいないのだけれど

 

自分の精神状態が不安定になっているのは、
勿論いろんな要因があって、なのだけれど

自分で自分のことを、もっとコントロールするべきなのか、
それとも、コントロールに対して意識的になりすぎているのか

 

 

自分の性格を直視することは、
いつも、いたみを伴うね