あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

21.1.2024

いったい、何から書き始めたらいいんだろう。

 

ちいさく願ってきたことが、たなぼたのようにわたしに降り注いできて
そのここちよさに包まれているのと同時に

 

あまりに周りの人とかけ離れた形の幸せを享受していることに、
みっともなくも、不安を覚えているということ?

 

一定以下の渇望感に苛まれることがなかったので、
いったい、価値のある文章とはなにか、というところから前に進めずに

 

気づけば文章を綴るという行為の前に、
堆い壁が積み上げることを繰り返していたということ?

 

 

今週末は、もうすぐメキシコへ旅立つという彼が、
いきなり発熱したというので、ずっと看病をしていた
(彼との関係性がこんなに変わったなんて、数年前の自分に伝えたら、
 果たしてどんな顔をするだろう)

 

彼の実家が遠いから、その状態で帰るのはしんどいだろうと思いながらも、
このまま一ヶ月、目見えることなくお別れというのが
耐えられない、その他諸々のわたしのエゴゆえでもあって

 

利他とは自他である、という言説を噛み締めている、いま

 

 

結局回復したのは何よりだったんですが
このままぶり返さないといいんだけど

 

彼を見送った後、お茶を淹れて、
グレーバーの『ブルシット・ジョブ』をさらに今更、読み進めながら、
わたしがしている仕事、しなければならない仕事、してみたい仕事について考えてみて、
やっぱり、世界には数種類の分かり合えない人間のグループがいるに違いない、と思った

 

 

異なる常識を抱えた「分かり合えなさ」を
最低限の良識で補完することは、不可能なのだろうか

 

絶望的な日本の政治のことを、世界の経済のこと、
諦めるのは、迎合だと思う

 

一つ一つ、具に意見を作っていくことしか、個人にはできないけれど、
そのパワーが、わたしにもその他の人にも、あまりに足りていない

 

だからこそ、インプットをしなきゃ、と逃げていたけれど、
入れたら出して行かないと、
身につくものは身につかないし、深まってもいかないね