あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

4.9.2022

文章を、書かなければ

 

そう思って、この場に戻ってきて、
それがほとんどぴったり1年ぶりとなっていることに、驚きを禁じ得ない

 

これを書いたときから、物事はめまぐるしく変わっていて、
私は社会人となり、自分の弱さといやでも向き合わなければならず、
「本当にしたかったことは、なに?」と
毎日不安げに問いかける日々を送っていた

 

本当に、この数ヶ月苦しかった
自分は何かを間違えたのかな、とてつもない勘違いをして、
結果的に周りの人にまで大迷惑をかけて、失望させてしまうかもしれない、と
毎週日曜日になると、憂鬱で仕方がなかった

 

今となっては一つも後悔することなんてなかった
どうしてこんなに周りのことばかり気にしているんだろう、
どう考えても私の人生に必要なものは、私の意志でしかないのに

 

物事を公に説明して、それを納得してもらうためには、
やっぱり理由が必要だ、けれど
意志に理由は、求められないのだし

 

それに結局、意志のない人というのは信用されないし、
周りに振り回されて、自信もないまま擦り切れてしまうのだ、と
身をもって体感した

 

私が、人生を賭けてやりたいこと
それって、社会に価値を生み出す、とかお金持ちになるとか、そんなことじゃない

 

本当は、わたしと似たようなつらさを背負っている人の気持ちに
寄り添ってあげたかっただけだ

 

この世の中には、今の場所とちがう世界、ちがう文化がいくらでもあって、
目を瞠るくらいうつくしくて、かけがえのないものがたくさんあって
自分以外の他者と、その景色を、その感傷を分かち合うことができたなら、
どんなことだって、人は乗り越えられる

 

みんなと一緒になれなくたって、
自分が信じるものを、信じた人と共有すれば、私たちは大丈夫
そのことを、そしてわたしなりの選択肢を示すために、
文化と文化の架け橋となりたかった

 

そして、そのために今この場でできることはあるし、
わたしだからできることも、多分たくさんある

 

誰かにこのことをうまく説明できなかったとしても、
わたしは、もうわたしの意志を疑わなくていい

 

これだけ悩み抜いて、中高のときの自分が考えていたこと、
それからずっと頑張っていたこと、
最後に、わたしがずっと心の中でのぞんでいること

 

やっと、納得のいくかたちで紐づいたのだから
もうその理想から、踏み出しもせずに逃げ出したくはない