あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

9.1.2019

 

 

 

朝から、落ち着きがなくて、どうも文が上手く綴れなくて、不安だ

 

昨日の深夜(つまり今日)

とある国際政治系の文献を読んで、

深い思考の深淵に落ちていた私に、

ある人から来たメッセージが、たまらなかった

 

 

 

その人は、私が形容するなら、「とてもバランスのいい人」で、

物事の節々での行動が、器用だなぁと感心しまう

 

その人は、人との距離感覚が絶妙で、

個人の領域を踏み荒らしてこないし、

かといって、何故か皆がそっと関心を寄せてしまうような

 

ある程度まで波長を合わせるけれど、

自分の領域が踏み荒らされる境目で、

すっ、と引いてゆく

 

それは、穏やかな海の岸辺の波に喩えられるような気がする、のに、

それでいて、どこか珍妙なところがある

 

静かな見た目に反して、変に好奇心が強かったり、

シニカルな物の見方をしているのかと思いきや、

意外と、熱を持っていたりする、ということは、

最近、ゆるやかに言葉を交わし合うような仲になってから、知ったこと

 

周りの人は「不思議で謎に充ちた存在」というし、私もそう思う

 

でも、なんだかその人の考え方や言葉の選び方が、

決して私と同質ではないにも関わらず、

共感できる、というよりも、理解しうる、という方が正しいか

 

とりわけ不思議なのが、

“私が私の素の文法で語ったとしても、この人はきっと、

私の言うことをかなり正確なレベルで理解しうるだろう”

という確信を、持てるということ

 

私が相手に気を使ったり、楽しませるために使っている脚色を、

この人には使わなくていいということ

 

それは酷く、私を安心させる、

そんな存在は今までに中々いなかったし

 

最初はその人が異性である、という特色に着目していたけれど、

今書きながら、そんなことよりも、

たった1, 2ヶ月の関係で、そこまで私が話せることの方が遥かに特異だ、

ということに気づいた

 

 

 

昨日の夕べにその人は、

「実益にならないと分かっていても、自分の探究心を止めることはできない」

と言い切った、

その事は、私を再び安堵させた

 

ずっと、実益になるかどうか分からないことに傾倒していて、

それが将来に暗い影を落とし、未来の孤独に対して一縷の恐れを抱いていた私にとって、

その言葉は、強い共感を呼び起こした

 

こういう人々を、

大切にしていきたいなぁ、失いたくないなぁ、

と思うし、

願わくば長く長く、そばにいて欲しいなぁ