あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

6.1.2019

 

 

 

何気なく開いてしまった写真フォルダ

レポートを始める予定が、何故か写真の調整を始めてしまって、

(私はいつもそうだ)

そうこうしているうちに、あっという間に、真夜中

 

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やっと、好みの加工の加減を発見して、ついつい嬉しくなってしまったのだ

 

やっぱり、加工に関しては悩むところもあって、

今回は曇りの日も多くて、色彩があまり映らなかったのだけれど、

かといって、色鮮やかにしたとして、まがいものになってしまっては意味がない

 

そもそも、私が写真を撮ることを決意したのは、

誰の為でもなく、自分の為で

 

目視を記憶に刷り込むことへの、限界を感じて、

それをいつでも引き出せるようなツールが欲しかった、から

 

だから、「私の見たまま」を再現しなくてはならないけれど、

それはつまり、「風景そのもの」になるわけではない

 

それを、公共の場に露わにして良いものか、

ひいては、後から自分の感性で、

カメラが客観視したものを、変じることは正しいことなのか

 

そこまで考えを巡らせたところで、

それは言葉の恣意性と同じなのではないか、とはたと気付く

 

言葉の恣意性は認めている癖に、

どうして視覚の恣意性が認められない、なんてことを考えたのだろう、

生半可者の、一人走り

 

私は、私が見たと思うものを記録してもいいし、

私がその風景の中で見出したかったものを創作しても、

それは、善悪で捉えられる問題じゃないのにね

 

半分くらいに手をつけたところで、

アーサー王文学のレポートに手をつけて、

眠りについた時には、4時を回っていた

こんな時間も、久しぶりだったな

 

 

 

朝起きて、唐突に、

英語のテストの日程を一週間間違えていたことに気づいて、慌てて取り掛かる

明日から大学、そして明後日にはテストが早速控えているなんて、

もう全く信じられないのだけれど、

まあ、時間の流れは、誰にも止められやしないからねぇ

 

 

 

夕方から、まさかこんなに早く再会できるとは思っていなかった人と、ご飯

 

彼との縁は、私たちがかつて親友だった人が繋げてくれたもの、

彼女と絶縁状態にある今、彼ともう一度楽しく言葉を交わすのは、

随分先のことになってしまうのだろう、と予期していたのだけれど

 

結果的に、それはもうめちゃくちゃ楽しい女子会で、笑

とにかく2018年はお疲れ様だったね、全部後厄とともに置いてきたねぇ、

などと笑いあった

 

彼の見解も、色々と予想外で、

やっぱり人との縁はどうなるものか、分かったものじゃないな、と改めて思う

良縁だけが身近にあれば、とも思うけれど、

その繋がりがどこから腐ったり錆びたりしてしまうのか、

その当時、当人たちには分かりようもない

 

 

 

 

ふと、髪の毛を乾かしながら、

私と他者の関係性の問題は、

“私自身が他者に何をして欲しいのか、いまいち分かっていない”

というところに帰着するのではないか、というひらめきが降ってきて、

目から鱗が落ちる

 

大体、他者が私に何を求めているのかは、

状況と自分の特質を客観視すれば、8割くらいは推測しうるものだし、

それをこなすこと自体を苦だとは思わない

 

それに、私は愛する人々に、

“これを、してあげたいんだ!”

という意識を持つことが少なくなくて、

それはきっと、相手に喜んでもらいたいから、というのもあるけれど

 

本当のところ、強いていうなら、私が他者に求めているのは、承認だ

それは、私の才覚に対してではない、と断言することは憚られるけれど、

それよりもなによりも、

“あなたは、ここにいていいんだよ”

という、その一言だけで、私はきっと救われる

 

居場所がない訳ではないし、

理性は私の居場所をしっかりと見極めているのに、

感情はいつまでたっても、私自身を根無し草とみなしている

 

これは、私が物心ついた時には、すでに持っていた感覚で、

最初は何が原因か、トラウマなんて見当たらないのに、と思っていたけれど、

今これを書いているうちに、一つの可能性が浮かんできた

 

それは紛れもなく、私が幼稚園から小学校にかけて、

たったの1年8ヶ月、この国から出ていた期間のことだ

 

帰ってくると、学校内ではすでにコミュニティはできてしまっていて、

なんとなく元いた幼稚園のコミュニティにも、入りづらい雰囲気を感じて、

習い事の場所に戻ると、一人取り残されている、私のレベル

 

私は、どこにいればいいんだろう?

どうしたら、私は仲間として認められるんだろうか?

 

この本質的な問いを、ずっと心に抱え続けている気がする

うーん、これはどうやって解決したら良いものやら

今や、複雑に絡まりあった毛糸のように、ほどき辛い問題

 

もう少し、他者のことが信頼できたら、生きやすいんだろうな

そんなことを、一人ふわりと考える、睦月の午前2時