あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

13.1.2020

 


 

 

毎日、流れるように過ぎていくけど、
毎日、何かをしていることには違いないのだけれど、
焦燥感が、とめどなく心の奥から溢れてくる

 

 

朝、LINEの通知に“しいたけ占い”があるのを見て、
「ああ、また月曜が来たのだ」と自覚する

 

日本だったら、12時過ぎにくるこの通知は、
後ちょっとで講義が終わる合図だった

 

 

12月後半から、ぶらぶら、ぶらぶらと
精神的に落ち着きのない状態に、ずっと置かれている

 

今まで積み上げて来た全ての要素が、
なぜ一度に、結果をもたらして、
そして全て、相反する事象になってしまっているのだろう

 

私はドイツに来てから、
多少性格が変わっていると思っていて、
そしてこの数週間で、もっと変わってしまったと思っていて

 

何でかというと、
今までなら考えもしなかっただろう考えを、
まさに脳の中でずっと続けているから

 

自分の中で、得体の知れないものが目覚めてしまっている感覚、
その急激な変化に、
柔軟性に欠ける私の感性と矜持がついていかない

 

けれど、先日たまたま友人と行った性格診断には、
相も変わらない、いつも通りの結果が表示されていて
「ああ、結局私は私なのだな」と安心する

 

 

私は直感と分析でしか物事を判断できない
感情と行動の関係はある程度理解したにしても、
根本部分がいつまでも理解できないままでいる

だから私は、いくら他者から「優しすぎる」と言われても、
自分が優しい人間だと心の底から思えたことはない

 

私が「優しすぎる」とすれば、
誰のことも傷つけたくないと思っていて、
それは幸い、若い頃に散々人の感情や行動に傷つけられたからで、
それがどれだけの痛みを伴うものなのか、よく知っているからだ

 

だから、どれだけの「優しさ」を提供すればいいのか
時々分からなくなって、過剰になって、
勝手に溜め込んで、勝手に爆発して
そういうエゴイスティックな行動の繰り返しだ

 

 

だから、他人が何を考えているのか、常に考え続ける
一挙一動を分析し続ける
これは特に物を書き始めてからの
いわば“職業病”とも言えるかも知れないけれど

 

そしてたまにそれは回り道になり得る
本当のことなんて、聞くまで分かりっこないのに
100%ではない分析を100%であると仮定して、
その上にグラグラ、頼りない分析を重ねて、
事実から推測は、どんどんと離れていく

 

けれど、難しいのは、
自分が行動を起こせば、計算に狂いが生じることで、
そして自分の行動というのは、中々客観視しづらい
つまり、一番の厄介なファクターとなり得るということ

 

 

はあ、こんなことをつらつら
ここに書き綴っていても仕方ないのだけれど
人の感情はとにかく、自分の感情でさえも
正確に認識するのは難しい

 

ここから先は、もう一つの“直感”に委ねるしかない
それは分かっているのだけれど、
果たして私に、それができるかな

 

 

久しぶりの青空と、黒々とした木のコントラストが、
妙に冬を感じさせた

 

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そして水溜りに映り込んだ水色のうつくしさ

 

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Mal sehen

Es wird bestimmt okey sein

 

今はそう、自分自身に言い聞かせるしか、
私にできることは、ない