あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

19.12.2018

 

 

 

どうも、最近私は息切れしているようで、

やるべきことを机に寝かせて、視線を落としてみたとしても、

頭の中は上の空で、向き合うことを拒否してくる

 

 

 

こんな精神状態になったのは、久しぶりで、

感覚を、忘れかけていた

 

ここのところ、どんなにやりたくなくても、

目の前のことをやるしか、前に進めないと思い込むことが出来ていたから、

こうやって、こつこつ積み上げられたけれど

 

根拠のない思い込みほど、大切なものはないけれど、

それが去っていくのも、驚くほど気まぐれで

 

原因は、嫌という程、思いつくけれど、

私の今後と直接結びつかないのに、それを結びつけてしまっているところが、

根本的な問題だし、そもそもあれらは直ぐに解決し得るものじゃないし

 

こういう時に一番効くのは、いつもそう、

紙に自分の手で、書き上げることだ

 

そういう時に、開くノートというものがあって、

そこを開いたら、案の定、半年前のメモが出てきた

 

半年前は、

自分自身とその理想、他人に見えている虚像と他人の期待値、なるものに、

私は頭を悩ませていたらしく、

それらの因果関係が図式化されていた

 

乱雑だし、難解すぎて、最初冗談抜きで全く理解できなかった

私が、書いたことなのにね笑

 

 

 

紙に書いても、複雑すぎる発想を、常日頃からしているのに、

こういう風に、ちゃんとブログに繫ぎ止める前は、

一体どれだけの無駄な容量とプロセスを、頭の中で踏んでいたんだろう

 

そんなことを考えながら、筆を取る

 

今、自分が抱いている、倦怠と漠然とした不安、一縷の焦燥感

私が、かつて抱いていた夢と、今の理想の融和

現在、私が関心を持っている対象と、今後十年の計画

 

頭の中では、

膨張する蒸気のように、薄くおぼつかない様子で充満していたものが、

文章にすると、案外大したことではなかったのかもしれない、とまでに、

コンパクトに、まとまってしまったりするもので

 

そして、一度書いたことは、一生消えない

これは、物理的な話ではなく、観念的な話だけれど

 

途中途中、内的な私が、私に語りかけてくる

 

「本当に私、こんなことを考えてる?できると思ってるの?」

「別に、こんなことしなくてもいいんじゃない、どうせ一時の気の迷いでしょ」

 

恐ろしい程、鋭いその指摘は、誰の言葉よりも私の心に食い込んだ

 

その通り、私は確かに熱しやすく冷めやすいし、理想主義的だし、

しばしば、現実味がないことを、さも現実であるかのように、考えることがある

 

でも、私は、ずっと考え続けている

言語と人間の関係性について、

現在の社会情勢に関して、

そして、私たちの過去に関して、ずっと、ずっと考えているのに

 

この疑問を、放置することが、正しいことだとは、どうしても思えなくて

 

正直、今までぬるま湯に浸かってきた私の人生からは計り知れないほどの、

困難と苦痛を伴うし、

時間や、お金もきっとかかるんだろう

 

それでも、一度思いついて、足を踏み入れてしまったことからは、

私の性質上、逃れられない

 

そう、飽きっぽい性格なのに、大きな矛盾よね

それでも私は、絶対にこの言葉を忘れたくない

 

“Fear always springs from ignorance.”

“Always do what you are afraid to do.”

 

出会ってから、胸に刻み続けているエマーソンの言葉

正直英語は全然ダメなのに、忘れたくなくて、

夜中に一人、ベッドの上でぶつぶつ、ようやく口から出るようになった

 

不安が生じるのは悪いことではなく、

 

不安は知ること、または知る努力をし続けることで塗り替えられる、

そのためには、私たちは恐れていることこそ、今、やらなければならない