あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

21.4.2020

 

なんだかんだ、四月も下旬
間違えてタイトル欄に“3”と入れたのを、慌てて直す

 

帰ってきてからの方が、当たり前のことだけれど
テクストのやりとりなども、増えて
多分、今帰ってなかったら知らなかっただろうな、という
人の側面なども、見えてきて

 

 

椎名林檎の“群青日和”を聴くと、
何故か不安げにあの街、
夜になると老若男女が集う居酒屋街に変わる、
Neutstadtの路上を歩いていた時のことを、思い出す

 

帰る時までには、庭の一部のように感じれられていたけれど
(なんといったって、トラムでエルベを突っ切ればすぐだったのだ)
最初、一人で歩いている時には、底知れぬ不安を感じていたっけ
街に、人に、店に馴染めるのかな、なんて

 

あの頃の私、
まだまだストレンジャーでしかなかった私
そんな時、あの曲は、
モルヒネとブースター、両方の役割をしてくれていたんだな

 

落ち着いて歌詞を追うと、私の状況とは
突き刺すような一二月の寒さ、しかかぶらないのだけれど

 


東京事变 • 群青日和

 

こうして思い返しながら
結局Neustadtの写真は、
2回目にあの街を一人でフラついた時しか
まともに取らなかったのだな、と
アルバムにほとんどないのを見て、はたと気付く

 

まあ、仕方ない、か

 

 

やりたいことの優先順位もそうだけど、
“効率”という言葉を無視しまくっている自分を、そろそろ止めないと
他の言語にかまけて、ドイツ語はほぼほぼ放置してしまっているし

最近は夢見が悪くて、
まあこれは普遍的な現象らしいのだけれど

 

時差ボケ的に遅れてきた、精神への圧
帰国直後の一週間は、なんであんなにも元気で活発でいられたんだろう、むしろ

 

それでも、外出制限が解けたので、
少しずつ散歩に出かけたり、
部屋の大掃除をしたり(これが骨が折れる作業だった、主にアレルギーのせいで)

 

早くこの生活の中でも、
自分をコントロールできる自分を、取り戻したい

 

これはこの前、少し歩いた時の写真
近所にこうしてひらけた場所があっても、
今まで足を伸ばしたことはなかったけれど

 

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手の届く範囲に触れられる自然が残されていることは、
こういう時期にはやはり、ありがたいことだな

 

16.4.2020

 

就活、勉強、読書、連絡、でなんやかんやてんてこ舞い

 

いつまで経っても休暇気分で、
社会復帰できるのか危うい、とは前も言ったかもしれないけれど
昨日までは、その限界に達していた

 

何をしていてもやる気が起きない
人からの連絡は面倒臭い
そもそも再び、朝起きれなくなってしまった

 

多分それは、
起きると現実と向き合わなければならないのと、
向き合いたくない、と思う自分とも向き合わなければならないから

 

こうなると、永遠に悪循環なんだよね
人と会う準備が整わないことを言い訳に
どんどん、人との距離が遠ざかる

 

けれど、昨日の深夜
サブゼミのような形で開かれた、ゼミのセッション

 

ほぼほぼ教授が喋り通すポッドキャスト状態だったけれど
それでも、中々刺激を受けたし、
結局自分の場所はここ、
ある程度の真面目の柵からは飛び出せないのだと思った

 

それに、リビングの床暖の上で、クッションを引いて
氷と炎の歌”の原作を読み進める

 

私はこの数年間、読書スランプに陥っていると思っていたけれど、
それでようやく、思い出せた

 

ああ、私が昔、部活から帰ってきて、
夢中で桜庭一樹の本を読み漁っていた時は
まさにこの体勢だったな、と

 

結局、私のスランプ、というよりも
夢中度の問題だったのかもしれない

 

 

 

たくさんやりたいこと、やるべきこと、やろうとしていること
積み重なっては、順番を決められずに
オーバーヒートして、
そこに他人の問題が入ってくると、もうダメ

 

そんな自分はどうかと思う
けれど、私自身のことは変えられないのだから
うまく扱っていくしか、ないのよね

 

焦っても、心に負担がかかるだけで、
能率はこれっぽっちだって上がらないのだから
落ち着いて、今はどうか自分を落ち着かせて
一つ一つ、整理していかないとね

 

8.4.2020

 

今日は午後いっぱい、ゼミのリモート会合

 

6時間近く机の前で、慣れないビデオ通話
それも、しばらく会っていなかった人、初対面の人、それから教授の前で
それなりに、まともに喋らなければならなかった

 

ZOOMを使っていたのだけれど、
会議の場合には基本的に、
話者以外のマイクはミュートにされる

 

部屋の中には私ひとり、ぽつねんとMacbookに向かって喋り続けているわけで
それ以外は、水を打ったように何も聞こえない
60人もの人を前にしているのにね

 

“反応がない”、とか、“音がない”というのは、恐ろしいことだ
まるで自分が何か、間違ったことをしているような気持ちにすら、なる

 

それぐらい、私たちは周りに音があること、声が聞こえることに慣れきっていて
顔が見えても、喋っている声が聞こえない
こんな状況は、技術の発展がなければ巡り合わないし、
私たちにとって“不自然”極まりない

 

でも、これにも数回もすれば、慣れてしまうのだろうな
人間の適応能力は末恐ろしい、と思うとともに、
これからの世界の動きを、おもう

 

きっと、これだけの生活転換があれば、
当然、行動や思考にも大きな影響が出る

 

つまり、文字通り世界は変革の時期を迎えていて、
もしこのパンデミック
従来、歴史の一部として織り込まれていたものではなかったのなら、
これからの歴史は“加速”して編まれていくのだろう、
私たちの意思とは関係なしに

 

どうして、私がこんな目に、
と留学のことは正直、なかったことにはできないけれど

 

国際政治を学んでいる身としては、
多少の不便はあったとしても、
学びの多い時期にこの時節がやってきた、とも捉えられるのかもしれない

皮肉なことに、というべきなのかもしれないけれど
ポジティブに捉えられる視点があるのなら、
そこから私は見据えていたい、と考えている

 

身の回りのことは、簡単には変えられないけれど
心の持ち方を工夫することは、造作もないことだし

 

私がこの状況に対してカウンターをかけられるとしたら、
もうそのくらいしか、できることは残っていないのだから

 

とはいえ、
全く政治学に触れてこなかったこの半年間
にも関わらず、いきなり一ヶ月後に、卒論構想を発表しなければならない

 

焦って今更論文などをダウンロードしまくってるけど、
果たして追いつけるのか、甚だ不安

 

まあ、就活と同時並行で進めている周りの皆んなよりは、
はるかにマシなはずなので

 

こつこつ、時間があるうちに
煉瓦を積むように、丁寧に、しっかりと、向き合っていきたい

5.4.2020

 

季節外れの雪の降る東京に、私は帰ってきた

 

まさか、次の更新が日本から、になってしまうだなんて
一つ前の記事を更新していた時の私には、思いもよらなかった

 

 

3月21日
・週末にドイツ全土で来週から取られる施策が決まることを知る

・隣の香港ガールから“明日からドレスデン市はAusgangssparreを敷く”ことが先ほど発表されたことを知る

・アラビアンパーティーの脇で、彼女といそいそと一緒にご飯を作って、食べる

 

3月22日

・週明け、何が発表されるかね、なんて呑気に構えていた日曜日

・夜、友人たちと(遠隔)Netflixpartyを開催する

 

3月23日

・昼過ぎに、あっさりと欧州の多数の国がレベル3に指定されて、崩れ落ちる

・切り替えて、友人と共に27日付の飛行機を予約する

・手続きなどを調べて、メールの下書きなどを確認する

・友人と電話する

・大学からのメールが気になって上手く眠れない夜を過ごす

 

3月24日

・これまたあっさりと、日本の大学から“帰国せよ”との通知

(ちょっと期待していた自分がバカみたいだ)

・役所に電話したり、メールのやり取りをしたり、荷物を引き取ってもらったり

・そのまま友達の家でお茶をする

・その後(本当はダメだけど)友人の家を訪問、一緒にチャプチェを作る

・その道中で別のアメリカ人の友人にたまたま会う奇跡

 

3月25日

・銀行の口座についてあれこれやり取り

・再びメールなどの返信

・もう一度友人を訪問(今回はキムチチゲ

・彼の前で号泣、その後まさかの寝落ち

(これがおそらく私史上で一番自分の気持ちを他者の前で吐露した時)

 

3月26日

・寝落ち前後にちょっとしたハプニングを起こしたことを知って、爆笑

(でも申し訳ない気持ちはある、改めてごめんね)

・もう一度友人に荷物を引き取りに来てもらう

・部屋中を掃除

・友人と隣の子を招いて、一緒に夕飯を食べる(香港料理!)

・一番仲の良かったチェコ人の友人と共に、三人で電話

 

3月27日

ドレスデン最後の日

・出る直前にギリギリHausmeisterに会えて、挨拶をする

・隣の子が荷物を運ぶのを手伝う傍、見送りに来てくれる

・例の友人も駅まで迎えに来てくれて、日本人3人でベルリンまで向かう

・ここで大変なアクシデントが起きて、私はその日の便に乗れなくなる

・一緒に帰る予定だった子とは帰れず、顔見知り同士の二人を見送るというカオスな状況に

・さらに友達の友達、つまり他人の家に居候させてもらうという奇妙なドイツ最後の晩を過ごす

 

3月28日

・日の昇りかかったベルリンのMoabitから、再び空港へ

・今度は何事もなく飛行機にも乗れて、フランクフルトへ

・待機している時に、友人から預かった“存在の耐えられない軽さ”を読み始める

・昼過ぎに搭乗、最後のドイツの景色を見届ける

 

機内

・眠ろうかとも思ったけど、恐ろしく眠れなくて、映画を3本見る

(“ティファニーで朝食を”、“マレフィセント2”、“蜜蜂と遠雷”)

日本海上に差し掛かったあたりで、再び咽び泣き

 

3月29日

・検閲に5時間は待ったけれど、短い方だったし、そんなに辛いということもなかった

・母親の出してくれた車で帰宅

・満開の桜に牡丹雪

・帰ってきて初の仕事がまさかの雪かき

 

 

 

そんなこんなで帰宅して、今に至るのだけれど、うーん
今はなにを書いたら、いいのやら

 

今回の大流行で考えたことを
みじかく、まとめると、
“人の話を聞かない人の、多さ”だろうか

そして自らもその一員であったし、多分その一員であるということ

 

もっと早く、人々が正しい声に耳を傾けて、
目先の自分の利益を優先させるような、勝手な判断をしなければ
このようなことは、起きていなかったのかもしれない

 

私の留学なんて、ほんのちっぽけな事象で、つまり、
“どうでもいいこと”に分類できると思う

 

けれど、本当に多くの人がこの疫病で亡くなっていて
残された人は、どこに怒りを向けて良いかもわからない

 

身体的死だけではなく、
食いつなぐ生業を失っている人も信じられないほどたくさんいて
流行が終わったとしても、こうした人々の連綿と続いてきた生活は、
もう二度と、帰ってこない

 

根本的原因は人ではないかもしれないけれど、
これは明らかに今や、“人災”の様子を呈している


SNSなどの発達により、私たちが選択的に情報を得られるようになり、
その結果、勝手なフィルタリングで、
見たくないものは見ない
という行動・態度が蔓延しているのではないか、という意見を目にした

 

だとしたら、今回の流行は、
皮肉にも、現代社会の病魔を具現化して浮き彫りにしている、とも言えようか

 

 

 

私が日本海上で泣いてしまったのは、
たまたま、ふと機内の地図を眺めていて、
私がいた場所の位置を確かめた時に、
地図の上に、私たちが接していた大切な人々の姿を見た

 

その時、
ドレスデンから、東方のちっぽけな島国
その無機質な地図上の距離が、あまりにも遠くて

 

あんなにかけがえのない、大切だった日常を、
私は遥か彼方に置いてきてしまったのだ、と
突然、強く自覚したから

 

彼らとは、いつか、どこかで会える
強く結びついている、分かっている

 

それでも私が、
彼らのWohnheimで、
または、私のあの、一人で住むには広すぎた部屋で

 

ビールやコーヒーを飲んだり
ボードゲームで遊んで一喜一憂したり
だらだら喋ったり
一緒に料理をして、食べたり

あのなんと気さくで、見返りを求めない人々との、
気軽な、日々は
泣いても叫んでも、もうどうしたって永遠に帰ってこない

 

私のドイツで達成したかった目標とか、ドイツ語とか、
そんなことは、どうだっていいよ
そんなもの、私の努力と本気度で、いくらでも取り戻せる

 

でもね、
あの日々だけは、絶対に帰ってこない

 

あれだけは、もう
どうしようもない力で、奪われてしまったもの

 

そして、状況が数ヶ月で好転しても、もう戻れないのは、
大陸の遠い東の地からやってきた、私の宿命なんだよ

 

 

 

ただ、乗せられて運ばれていくしかない、飛行機の上で
私は閉めていた心をそっと開けて、
一つ一つの想い出、場面を取り出しては、
対する私の感情を確かめていく

 

そういう作業しかできなくて、
でもそうした作業はひどく、大切だった

 

“まるで、ドレスデンにいたことが、全て夢のようなの”

 

私はあとから、友人にそうしたメッセージを送った

 

“夢のように、尻切れ蜻蛉で
突然終わりが来て、日常に戻っていかなければならなくなったから”

 

でも、本当はぜんぜん、夢なんかじゃない


だから、一つ一つの記憶を、現実と結び付けるために
私の感情と紐付ける必要があったのよ

 

“夜”ということになっている機内で、
こっそり窓を半分だけ開けて、
闇から昇ってくる、暗い橙色の朝日を覗いた

 

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私がこんなに悲しくても、
人間だけがこの病に苛まれていても、
世界は変わらず、営んでいるなと

 

そのことに多分、
私の心はいくらか救われた

 

20.3.2020

 

毎日、更新される情報に怯える

 

16日に、ついにドイツはレベル2に上がり、
強制帰国を恐れていた私たちだけど、その措置は取られず、
あくまで“勧告”のみで、一安心

 

勿論、その意味は、
“この先は自己責任”という意味なのだけれど

 

けれど、それを皮切りに
何人かが帰国を決めたり、飛行機を取ったり

 

流れてくる情報は国内からだけなく、
同時期に留学に出た他の国の留学生たちも
続々と日本への帰国を決めていく

 

私は卒業時期的にも、就活的にも、
多分帰国したことで得られるメリットが少ないから
そういう意味では迷いなくここに留まる選択をしているけれど

これだけ多くの人がラッシュを決め込んでいると、
さすがの私も一抹の不安を拭えないわけで

 

そうこうしているうちに、
こっちの大学の方から、コースへのコースへのEintragenをはじめてね、
というメールが留学生宛に届く

 

前回も出遅れたわけだけれど、やはり今回も出遅れ気味
二日前に始まったばかりのはずなのに、
満員のコースは少なくない

 

どちらにせよ、
この状況で私が枠を取るのも、中々申し訳ない話なのだけれど

 

長い休みと、不安定な状況で、
次ゼメスターへの意欲を無くしていた私だけれど、
改めてシラバスを読むと、
やっぱりここに残って勉強するべきことは残されている、
と感じたし、
久しぶりに、わくわくという感情を取り戻したよ

 

それにまだドイツではAusgangssparreがひかれていないので、
なんとなく毎日、残っている人々で
なんとか日々を楽しめるように、努力していた

 

コーヒーを飲むという大義名分で、
30分かけて友達の家まで行ったり、
ケーキを焼こうとしたら、危うくボヤ騒ぎになりかけたり、笑
ついでに夕飯までご馳走になったり、
ヴァイオリン奏者の方を家に呼んで、
ちょっと弾いてもらったり

 

皮肉なことに、この共通の危機を前にして、
以前よりもここで出会った人たちとの絆は
深まっているように、思う

 

 

 

とにかく、レベル3になるか、ならないか、という話で、
もう私にできることなど何もない、と
数字を追うのを最近は辞めていた

 

けれど今日になって再び、
ドイツ留学組のグループチャットが不穏に動く
改めて数字を見てみると、
びっくりするほどにドイツの感染者数は増えていた

 

大丈夫だと信じたいけれど
私にできることは、何一つなくて

 

多分、きっと、来週からはドイツ全土で外出禁止令が出る
それで少しでも治って、私の留学生活が続くのであれば
多少の苦難は屁でもないけれど

 

とにかく、私に今できることは、
今、この状況下で何を感じているのか
それを記憶に焼き付けることなんじゃないか、と思う

 

 

コロナ危機が拡大したこの数日間
ドレスデンは急に、嘘のように晴れ渡り、
春の息吹を感じさせる天気が続いた

 

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エルベ川のほとり
美しい河原の上で、ビールを飲み交わせるような美しい夏は、
果たして私に訪れるのかな