あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

16.9.2018

 

 

 

今日の午後は、先日届いたTRANSITを読んでいて、
それに大半を費やしてしまった

 

TRANSIT(トランジット)19号 美しき北欧の光射す方へ (講談社 Mook(J))

TRANSIT(トランジット)19号 美しき北欧の光射す方へ (講談社 Mook(J))

 

 

そして、この時間になっても読み終わっていない、という

 

私が西欧に執着していることは何度も繰り返し述べているけれど、
特に、北に対する憧憬の強さは、ちょっと異常だ

 

例えるなら、
北は私が住んでいたい土地
南は旅先として選びたい土地

 

もちろん北の土地の美しい景色を見たい、という気持ちは勿論なのだけれど、
それよりも、そこで暮らしている、そして暮らしてきた人々の持つ、
生活だとか、文化だとか、そういう知見を得たい、という気持ちが強い

 

今回の特集は北欧4カ国(スウェーデンノルウェーデンマークフィンランド)だったのだけれど、
どのページも興味深くて、ついつい読み込んでしまう

 

冷静に、5時間以上読んでも読み終わらない雑誌って、なんなんだ
(私の読むスピードが遅い、という節は否めないけれども)

 

 

 

その中に、私が思いがけず胸を詰まらせた部分があった
それは、デンマークの教育についての項目

 

 

 

デンマークにはフォルケフォイスコーレ(多分英語にするならFolks' high schoolかな)という成人のための教育機関があり、
これはデンマークで始まったけれども、今や北欧全体に広がっている

 

この学校は、成人以上の年齢に達したら、誰しも参加できる資格を有している
というのも、入学試験はないし、学業成績も出ない
人文科学、デザイン・アート、スポーツなど、実に幅広い分野を修めることができる

 

これを始めたのが、グルントヴィという牧師だ
19世紀まで、デンマークでは一部のエリート層がラテン語を用いて政治を動かしていた
無学の民衆は、政治に意見することはおろか、理解することさえできない
貧しい民衆たちが用いていたデンマーク語は、
「馬の言葉」と揶揄されて、エリートたちに蔑まれていたという

 

そんな中、伝統ある「民衆の中の生きた言葉」としてデンマーク語の美しさを再発見したのが、グルントヴィだ

 

一人ひとりが内側に灯りをともすことで、互いを照らしあい、影響を受けあってともに成長していくことが教育の本質だと説いた

(TRANSIT19号より)

 

この理念とともに、彼はフォルケフォイスコーレを提唱したのだ

 

今までの教育のように身分や地位に左右されずに、
誰でも学を享受できるこの国民学校は、デンマーク中に広がった
蔑まれていた民衆は、自らの民族の歴史やルーツに触れ、
言語に誇りを取り戻すことで、やがて国政を担うまでに成長していくのである

 

 

 

私は、この部分を読んで、思わず涙がこみ上げて来た
最初は理由が分からなかった
学を手にした民衆が、自らへの尊厳を取り戻し、
戦っていくその姿に感動したのか、とも考えたのだけれど
生まれた感情を吟味すれば、それは感動、なんてものじゃないことに気づく

 

それは深い悲しみ
その民族のルーツ、そして文化そのものたる言語

 

そのことばたちが、虐待されていた、という事実に、傷ついた
それは、絶対にあってはいけないことだと思うから

 

 そのことばを使わない人々が、そのことばを侮辱することは、許されざること

 

さっきも言ったけれど、
ことばは文化であり、文化は彼らが生きてきた歴史そのものだ

 

 誰かがそこに生きてきた証、その脈絡と続いてきた軌跡を現在生きている人間が、後世の人が、他人が否定することなんて、
本来できっこない

 

人間同士が均一に等しいことはないけれど、優劣はない
その存在可能性という観点において、人間は平等でなければならない
ことばも同じで、違いこそあれど言語間の優劣はなく、
誰もその存在を否定してはならないのだ

 

 

デンマーク語が死語にならずに現代まで生き残って、本当に良かったと思う
それを救い上げたグルントヴィは、どんな気持ちでこんなことを始めたのだろう
私と同じ気持ちだったのか、はたまたもっと高位の思想の元だったのか

 

そして、もちろん言語に罪はないけれど、
ラテン語が今や全世界で死語となってしまっているのは、
何と運命の皮肉なことか

 

 

 

言語を学ぶことは、文化を学ぶことと同義だと思う
そのことに気づいたのが少し遅すぎたけれど、
それでも私は挑み続けたい

 

そしていつか、デンマーク語に触れる機会が、あるかもしれないな、この人生
そんなことを今日ほんの少し、予感した

 

そういえば、幼い頃ドイツに渡ってから初めて訪れた都市は、
極寒のコペンハーゲンだったな、なんてことを思い出しながら