あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

14.12.2020

予告通り、
桜庭一樹の『じごくゆきっ』を読み終わったので、
わすれないうちに、言葉に残す

 

 

じごくゆきっ (集英社文庫)

じごくゆきっ (集英社文庫)

 

 

 

前にも言ったかもしれないけれど、
私は彼女の作品を読むたびに、
不安定な気持ちになるし、夜見る夢は歪む

 

 

彼女の作品の傾向として、
マジックリアリズム的ストーリー展開の暴走や、
気だるげなのに、異様に生々しい心理描写が挙げられると思う
けど、その反面、
作品に置いていかれることも、少なくない

 

でも今回の作品集はどれも、
異常な印象を与える物語と、人間の哀しい愚かしさが
一文一文から滲み出していて
個人的に、『少女七竈』の系譜を継ぐ傑作だった

 

 

私は、自分がほんとうに唯一、自信を持てることとして、
彼女の作品への愛と信頼は、誰にも負けないという自負がある
もはやそれは若干、信仰じみていて、
でももうかれこれ10年間は想い続けていることで
多分、最も人生で長い付き合いの、愛

 

それでも、何故こんなにも彼女の作品に、
私は例外なく心を動かされているのか、
とうとう表現できずにいた

 

そんな中昨夜、自身の貧弱なボキャブラリーに辟易しながら、
形容し難い気持ちの、より良い言語化を求めて
ネットの海を彷徨っていた時
あるコメントが、
一つだけ欠けていたパズルのピースのように
ぴたりと腑に落ちたのだった

それは、彼女の作品はいつも
“人間の尊厳”をテーマとしている
というものだった

 

ああ、そうか
地方都市を舞台とした少女小説
グロテスクなほど生々しくて、でも、
耽美、というよりも、狂おしいほど切なくて

 

彼女の作品の少女性、というのは
「人間の尊厳を搾取されている状態」のことで、
だから大人の男だろうと、異形だろうと、
彼らは皆「少女」に見えるのだ

 

内心、私はほんとうに不思議に思っていた

 

もちろん、風景描写の美しいこと、
(すべて圧倒的な読書量に裏付けられている)
どこか共感を呼ぶ心理描写、
特徴的な文体

 

魅力はあって有り余るほどだけど、
何がそこまで惹きつけるのか

 

大体の場合、抜け出す手段もなく、
救われない“彼女たち”に、
自己を重ねる部分があったのだ

 

そういう存在に、逆説的に救われていたのだ
この息苦しさは、私だけのものではない、と
そしてまた、救われないのも、仕方ないのだ、と

 

特に今回、好きだったのは『ビザール』
途中までは、ほんとうに桜庭作品にはありえないような、
むしろ初期有川浩のような、ラブコメで、
でもやっぱり、桜庭作品らしく、
背後からどーん、奈落に突き落とされる

 

びっくりしたのは、
(失礼かもしれないけれど)
彼女に、こんな普通のラブコメ的展開が描けたのか、という
しかも、こじらせ女子にぶっささる勢いの!

 

途中まで、いやに珍しく興奮して、
(ポジティブな)涙が止まらなかったのに、
最後は、
え、どうして、
こんなあっさりと、こんな酷い展開って、ある?
と、涙も枯れ果てたかのように、
呆然としたかと思えば、また泣いた

 

もう一つ特徴的なのは、
彼女の作品の登場人物は、何か重大な問題を抱えていて、
でも他の多くの一般小説とは異なり、それが
背景的キャラクター設定に使われるのではなく、
その問題こそが、人物の9割5分を占めていること

 

他の小説なら、
過去編のエピソードとして消費されてしまう部分が、
そのまま、遠慮なく、生々しく描かれる

 

そして、その問題が突然破裂して、
消えて無くなって、呆然と取り残される主人公、で終わる

 

そこにはかすかに光を感じる、
闇が去った、という感じはするのだけれど
まったく、痛みというものは永遠に消えないのだ、と
ゾッとする

 

だからこそ、もっとリアルで、好感が持てるし、
心が揺さぶられるのだと思う

 

でも、反動として、余韻が凄まじすぎて、
今の私のように、次の日まで引きずってしまうことが、大半で
あーあ、気持ちを切り替えたくないのだけど、切り替えないと

 

人生、小説みたいに、簡単には終わってくれないのだ

 

12.11.2020

毎日飛ぶように過ぎていくけれど、
少しずつ調子を取り戻しているように思う

 

だいたい不安になるときというのは、
先の見通しが立たないとき

 

そこから抜け出すには、
一つ一つの物事の全体像が見えている状態まで
まずは、やっつけること
解像度の高さは、問題にならない

 

毎日深夜まで眠れなかったあの夏の日々は地獄だった、
自分が何も頑張れていないような気がして死にたくなった

 

けれど、今になって、あの日々が全然無駄じゃなかったことを
とてもとても、実感している

 

あのとき、
「全然読めてないし、どうせ読みきれないのに」
と思いながら集めていた論文の資料があるから、
いま、なんとか年内に8割完成させるための材料は、
すくなくとも手中にあるな、と思うし

 

よく分からぬまま就活サイトの空欄を埋めたり、
色々な説明会に参加したり、
インターンに応募してみたりしていたから、
ある程度の情報と場慣れを手に入れて
大体納得のいく程度に、企業も絞れて来たように思う

 

ダメな日も確かにあるけれど、
そう感じるのは、すくなくとも
頑張りたいと思っている自分がいるからだ、と
遠い未来から、あの頃の自分を励ます

 

 

 

さて、最近もう一つ
夜の読書の時間がルーティン化してきたことが、
精神安定に寄与していると思う
寝つきもはるかに良くなったし

 

とはいえ、昨日やっと上巻を読み終わった
トルストイの『戦争と平和』の長さには
さすがに辟易した、
まだこれで、半分!

 

 

ちなみに、私が読んだのは中古であったので
筑摩の世界文学全集版なのだけれど
古い割に、訳が読みやすくて色褪せていないのは
一体どういうわけなのだろう

 

これはいうまでもなく世界文学に属する作品だけど、
ここで一つ、ブリタニカの定義を引いてみる

この言葉を初めて用いたのは晩年のゲーテであった。彼はそれを道徳的および美的感情の国民相互間における融合から生じるものとした。世界文学は単に全世界の文学の総量という意味ではなく,世界文学の対立物としての国民文学の存在を認め,その国民文学の存在意義を確立し深化させると同時に,時代や民族の制約から脱した超国民文学としての世界文学の理念が生れるとしたのである。 20世紀に入ってから,ことに近年の盛んな国際的交流のなかでは世界の存在がますます身近に実感されるとともに,世界文学の理念も一層意味を増してくるであろう。

そうかぁ、ゲーテが "Weltlitaratur" と最初に用いたのか
などと思いながら、この難解な定義を、ゆっくり噛み砕く

 

世界文学、と呼ばれるものに
私はまだまだ、ほんの一部しか触れていないけれど

 

完全に地理や文化、置かれている社会状況が全く違うにも関わらず、
懐かしいような、見たことのある感情の動きを
その筆致に捉えている
そうした作品ばかりのように思うし、
それが世界文学の定義なのだと思う

 

戦争と平和』は、まさに身分の階級差を超えて、
人間が普遍的に感じる感情を
その莫大な叙述で事細かく捉えている

 

ロシア語は表現力がとても豊かであると聞いたことがあるけれど、
まさに表情の機微や、感情の動向が
立ち現れてくるようである

 

そして第二部のラスト、
ピエールが流星を眺める場面の
描写の美しさといったら!

 

とはいえ、あまりにも時間がかかったので、
すぐに取りかかるべきか、別の作品を小休止に挟むか
迷った末、昨日は桜庭一樹の『じごくいきっ』を手に取った

 

帰国してから、
どうしても手をつける気になれなくて
何故かは分からないけれど、
多分、最後にストックがなくなってしまうのが怖かったのだと思う

 

そしてまだ最初の二篇しか読んでいないけれど、
すでに大号泣(他の人が号泣するような物語かは分からない)

 

まあ、この本の話は、
書ききれないものがあるので
次回に回したいと思います

 

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これはたまたま先日写真に収めることができた、
二重虹

 

目の前で、
灰空の上で二重の虹がどんどん色味を増していくさまは、
ある種の凄みがあったのだよ、本当に

28.10.2020

優先順位どころか、
自分が今、どんなフェーズの上にあるのかさえ
定かではない、日々

 

どうも私は、
「その日のタスク」なるものを定めることが苦手だ
それは多分、自分に甘いからだろうけれど

 

未来が不確定である以上、
今、私は何に時間を投資したらいいのだろう、とか
現状でもキャパオーバーになりつつあるのに、
インターンが始まったら、果たしてちゃんとコミットできるかな、とか

 

そのくせ、恐怖感から課せられている
自分が思い描く“自由”のための、毎日の習慣は、
まるで歯磨きのように
必ずこなさないことには、気持ち悪さが残る

 

ちゃんと測っていないけれど、おそらく
語学に1時間半、読書に2時間、
それに加えて、“勉強”として漫画を読む時間が1時間、
新聞記事を読む時間が、30分程度

 

これだけで、もう4時間にもなる

 

それでも全然、やりきりたいことは終わらなくて
だから優先順位を思い切って決めなきゃならないのだけれど、
将来の不確定性を理由に、
全てを手放せずにいる

 

仕方ないことなのか、単に要領が悪いのか

 

それに、ぼちぼち皆んなで集まる機会も増えて、
先週末は、ゼミの同期と後輩らとともに、
花火を観に、伊豆へと小旅行に出かけた

 

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そりゃめちゃくちゃ笑ったし、めちゃくちゃ楽しかったのだけれど
自分が何をしたわけでもないのに、異様に後引く疲れ
そうだ、私は元来集団行動は向いていないのだった

 

それでも、大半の人はもう卒業してしまうわけだし
彼らとの時間を、思い切って削ってしまう気にもならない
普通の人は、ここで就活に注力しているのかもしれないけれど
どちらを選ぶにせよ、
「それでいいの?」という疑念がよぎる

 

睡眠時間を削ろうにも、
朝、全く起きれないので
2時寝9時起きを繰り返しているけど、
これもどうなのか

 

そうこうしていると次の試験やら、課題やら
または就活関連のタスクやら

 

積み上がった山を消化することの、難儀さよ

 

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帰国したら
真っ先に向かおうと思っていたジェラート屋さんを、
先日ようやく訪れた

 

前のように、いつでも食べられるようになるのは
果たして、いつの日になることやら



 

13.10.2020

ざわついていた気持ちは、夏の空気とともに押し流されてゆき、
秋の香りが漂いはじめた今日この頃、
だいぶ自分の揺らぎも治ってきたようにおもう

 

先日たまたま、本当にたまたま
Apple Musicのおすすめプレリスを回してみていたとき、


流れ込んできたある曲が
おそろしく聞き覚えのある、懐かしいメロディで
食い気味に画面を確認する

 

ラブリーサマーちゃんという、
なんとも今風な名前のアーティスト名

 

ブリットポップ、80'〜90'UKロックといったキーワードが
インタビュー記事には並んでいた
記事を繰るうち、最初に言及されたバンド名が
the brilliant green

 

それを見て、ぴったりと腑に落ちたし
私は感動すら覚えたのだった

 

私は、the brillant greenを
それはもう、こよなく愛している

 

その退廃的なメロディも、
砂糖菓子のようで、どこか生々しい歌詞も、
川瀬智子の気だるげな歌声も

 

その新しく出会ったアーティストがまさしく
中学生でブリグリに出会って、そこから強くUKロックの影響を受けて、
と語っている

 

イントロを聞いただけで、私はそれを感じ取った

 

実のところ、私は二重に安堵を覚えていた

 

一つは
ああ、このバンドを私の年代で愛しているのは、私だけではないんだ
という、今まで抱えてきた、感性の孤独からの解放

 

もう一つは
まだ、このテイストは少なからず受け継がれていくのだ、という
飢えからの解放

 

ブリグリは、5、6年前に活動を再開して、
デビュー20周年のアルバムが出るとか出ないとか、そんな話があったのだけれど
まだそれは、持ち上がってきていなくて

 

心のどこかで、
もしかしたら、このまま一生
私はこのサウンドに出会えないのかな、と
先のことを信じられなくなってきていたから

 

ああ、ちゃんと私の好きな音楽は生きている
私の心の中だけでなく、誰かの中にしっかり根を張っていて、
継承者が、ちゃんと育っているんだ、と

 


ラブリーサマーちゃん「I Told You A Lie」Music Video

 

これから彼女が、どのような路線を走っていくのか
そればかりは、分からないけれど

 

とりあえずこの一ヶ月はいつものように、私は
永遠と、擦り切れるまで回し続けるのだろうな

 

 

25.9.2020

昨日は、私の誕生日

 

去年は、ドレスデンで、たまたま現地のチューターの子に祝ってもらって、
ひとりぼっちをギリギリ回避したのだったなぁ、などと思う

 

あれから、もう一年か

 

ベッドの中、
村上春樹の『1Q84』を今更読みながら
22歳を迎える作品がこれでいいのか、と問いかけ、
まあ、別になんでもいいか、と読み進める

 

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正直、歳を取った、という感覚が全くなくて、関心も薄い
いや、去年もあまり感じなかった気もするのだけれど
年々薄まるもの、なのだろうな

 

 

 

珍しく、当日にレストランを訪れて、
美味しいものを食べ、好きなものを買う
という誕生日らしいこともしたのだけれど

 

正直、九月に入ってからというもの、
予想していたほどに暇、というわけにはいかなかった

 

なんだかんだと毎日入っている説明会やら選考やら
半ばに論文構想の発表を終えれば落ち着くかと思いきや
全然バタバタしっぱなし

 

結構就活関連でやらかしたりして、
朝まで眠れないことだって、あった
(半分は気にしすぎだったのけれど、笑)

 

結局本格化するのは、九月からだったのだな
あれは前座に過ぎなかったのか、と八月中を思う

 

 

 

色々、気づいたことはそれでもあって

 

まず、インターンに参加してみて、
感じたのは
結局、私は「好きなことで飯を食いたい」のだな、ということ

 

やることに対するこだわりは、絶対に捨てられない
たとえそれが感覚的なものだとしても

 

その不確かな頑固さに辟易としていたけれど、
インターンを通じて、
好きなことが、少なくとも自分の不得意分野、
つまり下手の横好きというわけではない、ということに気づいた

 

正直、書類だけとか、テストとか、
何を評価されているのか漠然としている中
何が確かで何が不確かなのか、
全て「らしい」でしか括ることができなくて

 

それはひとえに、今まで私が
アウトプットの作業を、サボってきたからだ

 

機会に恵まれなかった、とも
自分が踏み出す勇気が、やっぱりなかったというのかもしれないけれど

 

「選ばれないコンプレックス」を抱えた私には、
評価の対象となるのは、やはり、恐ろしいことではある

 

けれど、いつまでもそうも言ってられないし

 

 

 

そしてたまたま誕生日の朝に入ってしまった、
新たなインターンの面接

 

色々懸念点はあったけれど、
とりあえず働くことはできそうで、安心

 

そこで色々な話をしたのだけれど、
「どんな大人になりたいですか」という質問に
一瞬戸惑った

 

それは、大切な問いだと思う
最近、もう一つ気づいたのは、
私には「成長に対する意欲」が、完全に欠落している

教養をつけたい、こうした人物像になりたい
そうした大枠があっても、
仕事という側面からではない

 

こういう仕事をしたい
結果としてこういう成果を生みたい

 

そうしたものはあっても
結局、自分像は、物事が反映された結論であって
目指せるものじゃないという諦念にも似た観念を持っている

 

結局、どうしたいか、そのためにはどうすることが必要か、
という側面で答えたけれど、うーん
果たしてこの問いで良いものか

 

22歳の抱負、なんてものも全く思いつかなくて
とにかく目の前に迫ってくることに、
なるたけ全力で向かうこと、くらいしか

 

 

 

そうね、でもそれでも

 

どんなに自分に余裕がなくて、
辛い状況に陥ったとしても

 

他責に甘んじないで、
人に対してやさしくいたわる事を
決して、わすれないでいたい