あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

11.10.2018

 

 

 

煮え切らない感情が消化できなくて、ずっと今まで考えていた

 

 

 

今日は唐突に友達にラーメンに誘われて、ホイホイ付いて行ってしまった私

昨日限界突破した体重をなんとかせねば、と意気込んだばかりだったから、少し躊躇ったけれど、

私もながらくラーメンを口にしていないし、

何よりその子は今、抱えているものを吐き出したいのかもしれない、

そして何よりも、突然の提案をあっさり承諾してもらった時ほど嬉しいものはない、

と思ったから

 

 

 

彼女と彼が少しこじれた話

 

聞いていて、既視感がすごい

ついこの前まで私を苦しめていたあの問題に、酷く似ていたから

 

結局、私たちは「相手のためを思って」本当の気持ちを言う

けれど、その表層のネガティブな側面だけを受け取られていて、

本質的な部分は、中々理解してもらえない

 

それは、結局栗のいがのような言葉で私たちが包んでしまっているからかもしれない

でも、その痛みがなければ、そこに私たちの思いがあることさえ、気づいてもらえない

 

そしてもう一つの要因として共通するのは、

相手と自分との、距離感の履き違え

私は私が思っているよりも近づかれすぎてしまったし、

彼女は彼が思っているよりも近づきすぎてしまった

 

 

もう彼のやることには口出ししないし、聞かれても答えない

だって自分で口出しするな、って言ったんだから

あれだけ今まで話を聞いてあげていたのに、まるでそれに対する感謝が感じられない

 

そう話す彼女の、憤りと諦念

多分私の抱えていた感情と類似するものだと思う

 

正直、今の彼女が彼の真意を完全に取れているかといえば、そうではない気がした

そのズレをやんわり指摘すると、

分かっている、とは言っていた、でも納得はしていないんだろうな

 

昨日も言ったけれど、人は同質にはなれない

諦めには、忍耐の諦念と、放棄の諦念の二種類があると思う

そして後者を一旦始めると、歯車は止まらなくなるのを、私は知っている

 

他人目線から見ると、そんなに意固地にならなくても、と思ってしまうけれど

こんな風に映っていたんだな、私

 

消化にはきっと、時間がかかるはずだ

 

 

 

それから、真面目だけが絶対的な価値観じゃないという話、

そして、正しさ、とは何か、という話に飛び火した

 

昨日の更新でしたような話を彼女に話したのだけれど、

彼女は、

そもそもそこまで他者の考えや行動に対して、馬鹿にするような感情とか、そういうことを考えたことがない、と言った

 

私はそこがうまく飲み込めなくて、

それは他者に対して関心がない、ということなんだろうかという疑問とか、

本当にそんなこと有り得る?という疑念とか

 

私のイメージの彼女とは、

自信家で、何事に対しても自分の意見をはっきり言えて、そして優しい

でも結構言説は批判的で、鋭い印象があった

さっきまでの話と照らし合わせてみても、しっくりこないということを言ったら、

それは、身内か身内じゃないかで、分かれているからだよ

まあそうだよね、私もそうだ

 

でも、私は、人に対してああはなりたくない、とか思わない?と問いかけると、

それもない、だってそれを考えている時点で、それと私とは違う存在で、しかもそれって他者と自分の優位性を考慮しているからじゃない、私はそういうことを考えたくない

と彼女は言った

 

例えばホームレスの人がそこにいたとして、

正直私はそうはなりたくないな、と思うけれど、彼女はその思考に至らないらしい

 

いよいよこの話をしている時に、私の心に黒い暗雲が渦巻き始めた

なんとなく、私がその人に対する優位を感じているということは、

その人自身を否定している、という意味合いを帯びてきたからだ

 

でも、私は別に優越感を感じているわけではない、といえば嘘になるんだろう

私の家にはある程度のお金があって、生活に困窮していないし、

高等教育を受けられて、自分のPCからこうやってブログを更新することもできる

 

私は、彼らを否定しているのだろうか?

そういうつもりではなかったけれど、やっぱりそれでも上から目線なのだろうか?

 

 

 

貧富の差や学識の差が生まれるのは、個人的要因ではなく、大半が社会的要因だ

だからそのことで彼らを責めるつもりも、馬鹿にするつもりも、毛頭ない

しかもそれを何とかしたいと思っているから、私は今学んでいるに等しい

 

この前までは、持っているモノを使おうとせずに、宝の持ち腐れにしようとする人々だと認識するやいなや、非難の対象になっていたけれど、

それは一見しただけでは分からない、ということも最近分かった

 

分かっている、彼女が私を非難したいという訳ではないということ

 

この苛立ちの原因が、彼女であることを私は恐れていたけれど、そうではない

その自分の考えを上手くその場で言語化して、伝えられなかった私の不甲斐なさだ

 

でも、子供っぽくて負けず嫌いな私は、こうも思っていることは事実

私が話し始めた事象に対して、後出しでこんな意見をぶつけてくるのは、ずるい、とも

 

 

 

いよいよ、短い、そして愛してやまない秋が訪れようとしている

しかし、どんな季節も、私を色づけることはできない

 

そこにあるのは、私の思考と意志だけだ