あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

5.10.2018

 

 

 

好きなものに触れることは、楽しい

 

 

 

昔から、好きなことや興味のあるものについて調べることは嫌いではなかった

理解を深めることはむしろ喜ばしいことで、

悲しくなるのは、それをしているせいで「やらなければならないこと」が終わらないことだった

そして怒りを感じるのは、「やらなければならないこと」のせいで私の興味に割く時間が奪われること

 

勉強は嫌いではないけれど、明確な目標の見えない勉強は嫌いだった

どうせ文系に進むのに、どうして数学を学ばなければならないのか、とか

英語なんて使わないのに、英語の時間ばかり多い、とか

 

英語に関しては、正直死ぬほど後悔している

英語でアクセスすることのできるソースの多さに、

あの時気づくことができなかった私は、本当に馬鹿だ

 

でも、数学に関しては未だに意味が分からない、と思っている

サインコサインタンジェントは未だにぼんやりとしか思い出せないし、

数学の公式は意味をなさない呪文のように思える

(高校では一応数IIIまでやったのだけれど、ね)

 

私の場合、四則計算自体がそもそも苦手で、

計算が間違えているのか公式の使いどころが間違えているのか分からないから、

もう自分でどこから手をつけたらいいのやら、という感じだった

 

加えて、これは推測だけれど、そもそも左右盲だということを鑑みると、

図形や空間などの幾何的な分野を把握するのが難しいのだと思う

地図が読めないわけじゃないけれど、

それがなければ歩いていて自分が向かっている方向が全く分からないし、

グラフが図形を表すということもついに未だに理解していない

 

かといって、友人には、

「数学的な論理的思考ができないわけじゃないのにね」

と不思議がられる

それはあながち間違いではないと思う、

実は現にプログラミング(といってもjavascriptだけど)の授業のテストでは、

平均よりむしろ上だったのだ

だから負け犬の遠吠えみたいだけれど、本当に数字と空間把握が苦手なのだと思う

 

長くなってしまった、結局何が言いたいかというと、

多分同じ結果を得るために辿れる道は一つじゃない

論理的思考を養うためには数学だけが有効なわけではないし、

ドイツ語をやり始めてから英語の文法で意味が分からなかったものが把握できるようになったこともある

 

明確な目標の見えない勉強、というのは、結局これをやり続けても自分の身にならないであろう、と自分が思っているもののことだった

その決めつけは危険だけれど、しかしその結論として何が得られるのか、

ということを考えれば、新しい道も開けてくるんじゃないかな、ということ

 

 

 

そして、今私がとても楽しくて、やっと自分が生きている、と感じるのは、

たった昨日世俗的な呪縛から解放されたこともあるけれど、

ようやく自分のやりたかったことと、やらなければならないこと、やるべきことが、

全部繋がりあって、方向性が一致しているからだと思う

 

あんなに苦痛だった語学の勉強が楽しくなるとは、思ってもみなかった

そして、案外嬉しいことというのは起きてくれるものなんだな

 

今日、昨日の抜き打ちテストの結果が先生から送られてきた

それは点数と順位が全部出るのだけれど、私は40/60問解けてれば嬉しいけれど、

まあ半分いくかいかないかぐらいの瀬戸際だろうと思っていた

 

私は本当に文法が苦手で、一年の末のテストの結果も本当に振るわなかったし、

二年になってからもずっとそのことを気にしていた

圧倒的ボキャ貧、それからかろうじて知っている単語でさえも使いこなせない無力さ

正直、恥ずかしかったし、何とかしたいと思ってもいた

 

夏休み中は、文法書をもう一度熟読したし、読解も必死にやったけど、

それでも足りないと思っていた

だってそもそも出来ないのに、前半は全部原稿を書くのに使ってしまったから

それでいて、唐突の抜き打ちテスト

15人のクラスだけれど、どうせ私は十何位とか、そんなものだろうと思っていた

 

末にいるに違いないと思っていたけれど、怖くてとりあえず10位あたりを見たけれど、私の番号はない

絶望しながら末の方を見たけれど、何故かそこにもなくて、見落としだろうかともう一度見直すけれど、やっぱりない

恐る恐る視線を上方にずらしていくと、5番目の位置に私の番号があった

正解数は40/60問

驚きのあまり、携帯を取り落としそうになったし、何度も見直してしまった

だって、あんな猛者揃いなのに、私より出来る人しかいないようなクラスなのに?

 

正直まぐれ感も強いし、実力かどうかは何とも言えない

けれど、素直に喜びを噛みしめることにする

何より、自分が自主的にやった勉強の効果が表れている気がして、嬉しかった

 

正直、今まで私はそこまで勉強という勉強をしてこなかったのだと思う

それが私が勉強嫌いではない理由かもしれない

なんだかんだ自分のやりたいことを優先させていたし、

しかもそれで何となく波をこえてきてしまっていた

 

だからドイツ語が私の前に初めて立ちはだかった壁だったし、

初めて悔しくて本気で乗り越えようと思った壁でもあった

努力って、こんな私がしたとしても報われるんだなぁ、と久々に感じた

 

 

 

才能は生まれ持った資産で、努力は貯金のようなものだと思う

才能に溢れた人でも、努力という貯金をせずにそこにいつまでも寄りかかっていたら、

いくら莫大な資産であっても、やがて枯渇する

 

鼻にかけたいわけじゃないけれど、私は自分で誇っている部分は確かにある

それでもきっと、そのうち鼻をへし折られるだろうけれど

おごらないように、着実に、経験や努力を積み上げていきたいと思った

 

そんな一日