あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

9.7.2020

どうして、私は外国で、独りで暮らすことに
こんなにも、憧れとこだわりがあるのだろう

 

別に、特段やりたいことがあるわけでもないのに
憧れだけが先行していて、馬鹿みたいだ

 

このことを、しばらく考えていて
車に揺られている時に、
外のぐずついた天気を眺めていて、
ふと、腑に落ちた

 

私は、私が選んだものに囲まれていなければ、
自分が「自由である」と感じられないのだな

 

その時通っていた道は、
多分、幼い頃から一番、
車を使った行き先としては慣れ親しんだ場所の脇道

 

 

何も、この願望についてだけではない

 

私の部屋は、ピンクの花柄の壁紙で囲まれているのだけれど
それがすでに、息苦しくて
「変えたい」とわがままを何度言ったことか、わからない

 

私が小学一年生の時に
この部屋の壁紙を張り替えたのだけれど
確か、私はブルー基調の壁紙がいい、と主張したのに
「そのうち、気にいるようになる」
とかなんとか、母親に言いくるめられて
この壁紙になってしまった

 

言っても、仕方のないことだけれど、
この件に関しては、かなり母親を恨んでいる

 

この壁紙は、私に昔から求められているイメージ像の圧を与えるだけでなく
私が求めるインテリアに、何一つ合わないし
小さい頃から永遠に、
この空間に対する違和感を感じ続けている
この文章を部屋で打ち込んでいる、今も

 

これだけではないけれど、
昔からの友人には、私へのピンクのイメージがこびりついていて
本当は、一番苦手な色なのに
追い討ちをかけるような、小花柄

 

 

私は、随分とずぼらで適当な割に、
変な部分でこだわりが強くて、
しかもそのこだわりを言語化して、
客観的に説明できないことが、あまりに多い

 

その自分の性分に、散々苦しんできたけど
要は、自分のセンスで選んでいるか、どうかなのだ

 

私に選ばれたものでなければ、私のもの、という感覚が得られなくて
得体の知れないものの上を、歩んでいるような気持ちに陥るのだ

 

だから、私は英語じゃなくてドイツ語を選んで、
誰にも相談することなく、迷いなくこのゼミに入って、
この学部に入って、でもどの組織にも属さないことを選んだんだね

 

だから、私は何を選ぶにしても
決定過程に、あるいはその背景に、
私なりの「ものがたり」を求めるのだと思う

 

結局、私は人から何か教えてもらえばもらうほど、
それが主観的であればあるほど
自身への影響をブロックしてしまっているのかも知れない

 

つまり、それが私の頑固さ

 

もちろん、憧れだけでは
人を納得させられないから、
色々、脳みそを使って考える必要はあるけれど

 

それでも、これだけは確かな事実


私は、私の感覚から逸れた決断は、
どんなに客観的な理由づけがあったとしても、
効率的に見えたとしても、
結局、下すことができない

 

だから、それ以外のことに、あまり時間を使うのは
私の人生的に、価値観的には
どうやら正しい選択では、ないみたい