あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

能力主義に基づく切り捨てを正当化するな。Meritokratie kann keine Begründung werden, um abzuwerfen.

 

こうした流れも踏まえて近頃では、
YouTuberやインフルエンサーの存在感が増してきたり、
企業も新しい人々に対してプラスワンの価値を求めるようになってきた

 

究極に言えば、“機械や既存のものに代替が効かない存在”とでも言おうか
“個人が企業を凌駕する時代になってきた”とも言われている

 

従来は年功序列・終身雇用、
若者は“企業の中で育ててもらうもの”だった日本では、
確実に真逆とも言えるような方向性へ向かっている

 

 

 

しかし、私はそれに対して怒りを抑えられない
これは、新しい欧米的なシステム、見方を取り入れた結果かもしれないけれど
大学にいるうちに“就活”というフェーズの中で勤め先を見つけて、
卒業したらさっさと社会に出て働く、
そんなおかしなシステムを採っているのは、日本くらいのものだ

 

実質三年生の春から就活は始まっていて、今後さらに早まると思われている
こんな環境下では大学で学んだことが軽視されるのはある意味当たり前だ
日本の学問水準が下がる一方になっていくだろうことは否めない

 

時間のない中で、インターンシップで実践的なことを学ぼうとしたら、
休学するか、授業をサボるしかないけれど
未だに日本では、休学するというと好奇の目で見られることも少なくない

 

結局何もかも、楽して良い人材が欲しい、と思う
企業のエゴというか、もっと主語を大きくすれば日本社会の構造の問題だと思う

 

 

 

まあ、話を戻すと、こうした中では、
誰しもが“プラスワン”の価値を持つこと、
そして“セルフブランディング”の能力が求められる

 

こんなの、ライフワークに設定したって良いような難題だ
それを、20そこらで完成されることを求められる

 

問題は、この二つができなければ良い勤め先を見つけられないどころか、
将来的には全く職にあぶれる可能性が否めないということ、
そしてそうして途方にくれた若い人々を、
この社会は誰も救ってくれないだろう、ということ

 

 

 

違うだろう、と私は思う
問題は、いかに効率よく金を集めるかじゃなくて、
本当に求められているのは、
どれだけの人がちゃんと生活していけるか、
そういった社会のキャパシティだろう

 

 中には、自分の中に
そうした価値を見つけるのが難しいと感じる人もいる
全員がインフルエンサーになれるとしたら、
もうそれは果たしてインフルエンサーと呼びうるのか

 

そもそも、生まれついた環境次第で、
そうした発想を得る機会を得られない人だっている

 

こういう、いわば取り残された人々を出さないために、
安心して暮らしていけるように
“社会”というものは発展するべきなのではなかったか

 

能力がなければ、切り捨て、なんて
教育の再生産のことを考えれば、立派な差別だ

 

 

 

見直すべきことはたくさんある、
全てがうまくいくなんて、私も思っていない

 

しかし、私は少なくともそういったムーブメントに加担したくないし、
将来的には、人々がもう一度立ち上がっていくための原動力になるかもしれない、
そういうものを世の中に放流できたら良いな、と思うのです