あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

4.9.2019

 

 

 

旅に出る前の、朝ごはん代わりのマフィンとコーヒー
何の変哲も無い、ただキヨスクで買っただけのこれらが
妙に美味しく感じられるのは、何故なのか

 

今日出かけたのは、
ヴィリニュスからバスで30分ほどのトラカイ

 

バス停からは、歩いて30分で城に着く、と聞いていたものの
あちこち道草を食っていたら、
結局着いたのは1時間以上経ってからだった

 

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市内を歩いているときは、
二倍ほどの足の長さの欧米人を追い越すほど早足なのに、
こういう風景の街並みの中では、
ありえないほど歩みが遅くなる


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今日の天気は、曇ったり、晴れたり
気まぐれな雲の動きに、私のシャッターが翻弄される

 

ガルヴェ湖の上に建てられたトラカイ城は、
14世紀ごろに外部からの侵略を防ぐために、リトアニア大公によって建てられた

 

しかし、リトアニアはその後
婚姻関係によりポーランドと同君連合し、
次第に城の重要性は失われていき、やがて退廃した

 

現在見られる城は、20世紀後半から再建されたもので、
内部の工事は、完全には終わっていない模様

 

しかし、中世マニアとしては、涎ものだった
赤煉瓦の外観から、内部の素朴な石造り、
そして数々のミリタリーアイテムの展示

 

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そしてほとんどの展示にドイツ語の解説がついていて、
何かと助かった

 

今はもう、英語よりドイツ語を読む方が楽な気さえ、してしまう

 

驚いたのは、トラカイは多民族で構成されていたということ
バルト人だけでなく、モンゴル系のタタール人や、ユダヤ教の一派であるカライ派、
それから、ムスリムの集団が住む地域もあったのだという

 

一体どこから、とも思うけれど、トラカイでも交易が頻繁に行われ、
黒海沿岸地域とも関係があったことを考えると、分からなくもない

 

 

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それから、再び湖周辺を散策し、
相変わらず緑に弱い私は、一目惚れで琥珀のピアスを買う

 

ああ、それにしても
この水の透き通り方は、なんなのだろう

 

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市内を流れる川も
よく見ると、川底の水草が透けてみえるほど、澄んでいたし、
この写真は浅瀬だけれど、橋をずっと行ったところでも、
底の様子が、蒼く揺らめく

 

いつまでも、眺めていたいよ

 

本当に、将来は湖のほとりで暮らそうかしら、
なんて考えてしまうほど

 

帰り、キビナイという名物のミートパイを食べたのだけれど、
これまた信じられないほど美味しくて

 

リトアニア料理は
塩分量が日本人、ないしは私の感覚と合っている
そして香辛料というより、ハーブとサワークリーム中心に味付けされるのも
私の味覚的には、助かる

 

 

 

市内に戻って、今度はリトアニア大公宮殿へ向かう
学生はたった3€だったのだけれど、
信じられない量の展示と説明

 

これも、ソ連時代に取り壊されたものを、
2003年から再建し、2013年にオープンしたもの

 

最初はその背景を知らなかったから、
いきなり城の地下で遺跡のような展示を見て、首をかしげる

 

歴史の展示は、
中世リトアニア大公国の説明だけざっと読んで、
あとはもうお手上げ

 

今思えば、午前中の展示ですでに頭を使い果たしていた

 

内装の展示に移って、感嘆の息が漏れる
なるほど、再建されたてでピカピカだ
違和感がないわけじゃないけれど、
逆に言えば、これが当時の状態なわけで

 

それにしても、この規模のプロジェクト
一体どこからお金が出たんだろう、と気になってしまう
ていうか、もっと観光客からお金とっていいよ

 

そして、これが完成した今、
リトアニアの人々は、ヴィリニュスの人々は、どんな気持ちなのか

 

この宮殿は、かつて400年ほどこの地に存続し続け、
都市のシンボルとされ続けてきた

 

それをいきなり、外部の為政者に
なすすべもなく取り壊された時、
どれだけの痛みが伴ったのだろう

 

今まで、私はそういう視点でものを見てこなかったけれど、
最近は、残された人々のことをおもうことが増えた

 

 

 

ヴィリニュスは、不思議な街だ

 

路上駐車がやけに多いな、と思っていたけれど、
どうやら赤くなっているスペースは駐車可能で、
多分それは、そもそも駐車場にできるスペースがないから

 

言葉は本当に、一ミリも分からないけれど、
たまに分かる言葉があると(大体ラテン語由来)
ああ、この概念はこの地になかったのかな、と推測する

 

曜日はよく、ローマ数字で表されている
(Ⅰが月曜日で、Ⅶが日曜日、多分)


中央駅周辺は正直、あまり手入れがされていない状態で、
道や建物が崩れたまま放置されている

 

けれど、旧市街に入ると、
バロックルネサンスの建物が立ち並び、
ゴロゴロとした石畳は、まさに古き時代を思わせる

 

そしてもっと奥へ行くと、賑わっている新市街
いわゆる“ヨーロッパ的”街並みが顔を出す

 

違う地区を歩くたび、
違う国に来ているんじゃないか、と錯覚してしまう
全部徒歩で回れるし、そんなに広くはない
いきなり、風景がガラリと変わるその違和感

 

けど、やはり興味深いね
もう一度ちゃんと、この国の歴史もさらいたいな

 

 

 

明日からはラトビア
結局第二の都市カウナスには行けずじまいだったけれど
はてさて、また訪れる機会があるかしら