あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

31.7.2019

 

 

 

昨日で、すべての物事が一旦、一区切り

 

 

 

怒涛の試験週間を潜り抜ける間も、
私と友人たちが海外へ旅立ってしまうのを見て、
びっくりするくらい悲しんでくれる友人たちがいて、
でも旅立つ私たちは、目の前の物事に必死で、
そう、何かに必死であるうちは、
まるで心が麻痺してしまったかのように、
笑って慰めることができた

 

そして、30日にすべての試験が終了して、夏休み
なのだけれど、
ひとつ、ひとつの試験が終わるごとに、
ひとつ、ひとつ、別れが積み上げられていって

 

追われていたうちは、麻痺していた心が、
一気に決壊するダムのように、ぐしゃぐしゃになってしまって、
人前で普段はあまり泣かないのに、
ぼろぼろ、ぼろぼろ、泣いてしまった

 

今まで私は、卒業とか、引退とか、
別れの場でも、どこか斜に構えている部分があって、
そういう冷たい目線を投げかけている自分が、
周りの人間から浮き彫りにされるような気がして、
とにかく、自己嫌悪に陥ってしまっていた
だから辛気臭い場面は苦手だった

 

どうして自分だけこんなに冷めているんだろうという気持ちと、
今生の別れでもないのに、
どうしてこんなに感傷的になれるんだろうと不思議に思う気持ちとが、
心に重く堆積していく

 

結局、私はあまりこういう面で人間的ではないし、
周りの人とも、社会とも、うまく馴染めないのかな、なんて

 

 

 

でも今回、こんなに不甲斐なくて冷たい自分が、
たった一年間、日本を留守にするだけで、
色紙を書いてくれたり、わざわざ集まってくれたり、
心のこもったはなむけを贈ってくれたり、泣いてくれたり

 

最初はただただ、驚いていただけだったけれど、
ひとつ、ひとつ、実際に別れを告げるたびに、
当たり前の物事が、全然当たり前じゃなかったんだ、ということを、
ひしひしと痛感する

 

特に大学に入ってから、特定のコミュニティに属していたわけでもなく、
そんな中で一緒に語学や授業を受けていた人たちも、
わざわざ私に時間を使って会ってくれていた人たちも、
当たり前のようにそこにいてくれたけれど、
実は全然当たり前じゃなかったな、ということに思い当たった瞬間、
急に涙が止まらなくなってしまった

 

昔から理性的な判断を超えた感情的な行動を目の当たりにすると、
意味が分からない、理解不能だと思っていた節はあって、
内心、理性は感情に絶対的優位を持っている、と信じていたのだろう

 

けれど今回、
そんなロジックでは、どうすることもできない感情というものが
確かに存在する、そのことをようやく理解して、
自分、本当に馬鹿だったな、と思った

 

それを気づかせてくれるような、
私をもっと人間らしくしてくれるような、
素敵な人たちが周りに集まっていたこと、
そのことは本当に運が良かったということなのだろう、
もう、感謝の言葉しか出てこないな

 

私もできるだけ、人の力になれるような人間でありたいよ
たくさんもらったものを、たくさん返せるように

 

いま再び、新しく始まる目の前の出来事に、全力を傾けていきたい