あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

22.2.2019

 

 

 

7時台に家を出なければならないのは久しぶりで、

にも関わらず仕事を終えたのは23時半で、

そんな時間に高円寺を歩きながら、

何故自分は一滴も飲まずに、飲み屋街の脇を一人で足速にかけているんだろう、

なんて思ったのは昨日の出来事

 

 

 

ひたすらに家具を組み立てたり、物を運んだりしたせいで、

全身筋肉痛に襲われ、ベッドから起き上がれない

遺言のように、母に風呂を沸かしてもらうように頼んで、

起き上がったのは1時間半後

 

眠気は取れたけれど、全く身体の痛みは引いてないし、

さっさと起き上がって風呂で身体をゆるめるべきだったなと反省

 

バタバタと身支度に襲われ、

どうにか予定通りの時間に、家を出る

 

 

 

昨日、ドイツへ留学する話をして、

社員さん達にはやはり、じゃあ彼氏はドイツで作るのね!なんて言われる

これは、何度も他の人にも言われたことだ

 

確かに、彼氏を作れば語学力は上がるというのは有名な話だし、

そういうことも、あるのかもしれないけれど、

やっぱり前向きになれない自分がいて、苦笑い

 

その事を思い出して、今日ぼんやり駅のホームで考えたのは、

結局、私はこれ以上新しいことを始めたくないし、

始めるのが面倒なんだな、と思った

 

というのも、私はなんやかんや物事に対して自分の「理想像」を持っている節があって、

実現するためには、自分で整えなければならないことが幾つもあると思っている

 

まず第一、一人暮らしも初めてで、それも外国でしなければならないし、

語学力も足りなくて勉強に打ち込みたい

 

その中で、また新しいことをする余裕がある、という想像ができない

悲観的になりすぎているのかもしれないけれど

 

そして、これは前から思っていることだけれど、

私はやっぱり、一番身近になるかもしれない人とは、

母語かそのレベルで使いこなせる言語でコミュニケーションが取れないと、いやだ

 

私が思っていることを自由に伝えられない不自由さを、そこに横たえたくない

それは人から見たら「甘え」なのかもしれないし、

そこで切磋琢磨しているうちに、語学力も上がるということなのかもしれないけれど、

何故か「そこまでして」という意識が頭の中にちらつく

 

多分、こういう関係を神聖視しすぎているし、

保守的になりすぎているのかもしれないけれど、

この感情は多分、「早く結婚しなさい」と、

急かされている三十路の気持ちに似ているんじゃないかな

 

すごうく、簡潔にまとめると、

もう私のことは、ほっておいてほしい、

という気持ち

 

 

 

うう、そんなことを思いながら、

留学オリエンにむかうよ