あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

31.1.2019

 

 

 

今日、試験期間も終わった

すなわち、大学二年生が終わったのだ

実感として、全然湧いてこないけれど

 

春休みの長期貸出、高校と違って冊数が無制限なのをいいことに、

腕いっぱいに抱えてカウンターに向かった

どんな顔をされるかと思ったけれど、案外普通の面持ちで、

きっと私みたいな人、いるんだろうなぁ

そんな時に、ふと、気づく

他のキャンパスでも返却は可能らしいのだけれど、

もうここにこないかもしれない、なんてことに、こんなところで気づくなんて

 

 

 

今は、ル=グウィンの『ファンタジーと言葉』を読んでいる

言わずと知れた、ゲド戦記の著者のエッセイ集なのだけれど、

実はゲド戦記は観たこともなければ、読んだこともない、

興味はずっと、持ち続けているのに(そういう星回りの本、多い)

 

 それどころか、検索するたびに小さく出てくる宮崎駿の顔のおかげで、

すっかり作者は男性なのだと錯覚していた!

(だから、1ページ目ですっかり仰天した)

 

ついでに、アーシュラとウルスラという名前が、

同じ綴りということに今更気づいて、もう、なんというかねぇ…

 

ファンタジーと言葉 (岩波現代文庫)

ファンタジーと言葉 (岩波現代文庫)

 

 

 

地味に、エッセイ集を読むのは初めて

だから、エッセイというもののアベレージを私は知らないけれど、

一つ一つ、話の身が締まっているのが、すごい

 

ジェンダー論や、人類学や、フィクションの意義、

分野は多岐にわたるけれど、どれも私の興味のある主題

それは、ファンタジーを源流とするなら、当然なのかもしれないけれど

 

堅苦しくなく、でも話がライトかといえばそうではなく、

頭や心に、最短距離で迫ってくるリズム

フィクションを操る魔法の力が、確かに言葉から湧いている

 

何故かエッセイからの導入になったけれど、

彼女の著作は、ちゃんと読み込みたいなぁ、いつか

 

 

 

今、私がこれだけの恐怖を抱えているのは、

ずばり、いろんな側面から、

私の「未熟さ」と「無知さ」にメスを入れられているから

 

今日、馬鹿みたいに本を借りてきたのも、

春休み、出来るだけ早起きして映画を見るなど出来たらいいなと考えているのも、

かといって、ドイツ語や英語も勉強しなければならないし、

書くこともやめたくないけれど、

インターンにも極力顔を出したい

 

全部、叶えなければならないのに、

つい、無駄なことに時間を費やしてしまったり、

予定外のことが起きてしまったり、

苛立ったり、落ち込んだり

 

優先順位と、順序と、時間の計算が、

まるで噛み合っていなくて、綱渡りをしているような気分なのだ

 

私は、結局何がしたくて、何者でありたいんだろう?

その像の輪郭が、見事なまでにぼけていて、

踏み出す方向すら、闇の中

 

分かってはいるのだけれどね、

きっと、いつになく追い詰められていることは、

少し、息を吸って、吐いて、呼吸を整えなくてはならない