あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

8.11.2018

 

 

 

ある人の、長い記録をやっと、読み終えた

 

 

 

日常のごく一部を切り取る、

日記というものは、全てそうだ

それでも、ごく短く切り取られたそれが、毎日、数年間のログとして溜まると、

これだけで、こうも膨大な記録になるのか、とハッとさせられる

 

私たちは、日々、多くのものを見て、多くのことを感じているのであって、

「何の変哲のない一日」なんて、存在しない

 

少なくとも、切り取ったものを他者から見れば、

同じような風景であっても新鮮で、それは異世界のよう

これまでに人は、どれだけ膨大な物語を創造してきたのだろう

 

日常の積み重ねが、いかに非日常的であるかを、私たちは軽視しがちだ

 

 

 

昨日に引き続き、色々と、考えさせられることがあって

 

私は、普段は半ばイエスマン、のようであるとも思う

人の提案は、基本的に受け入れるし、どこへでもついていく

それは断る意味がないから、という時が大半で、

結局自分が譲れないものに関わらない限り、何でも試してみようと思うし、

そうして流れ着いた先が、中々楽しいという時も多い

 

それでも、私が唯一許せない気持ちになってしまうのが、

私の時間が、不当に消費された、と感じてしまった時だ

 

本来私が使えるはずだった時間を、

私の気が進まないことで使われるのが、本当に嫌

時間に関しては、本当にケチだな、と自分でも思うし、

しかもそれは防ぎようもないことが多い

 

前も聞いたことのある、三度、四度目の会話とか、

熱のこもらない、だらだらと切れ目なく続いているLINEとか、

「それは私が聞かなくちゃいけなかったのか?」という電話

 

そして、それは問題解決の時も同じで、

私は極力時間のかからない解決方法を好む

論理的で、筋道だった、公正公平さが最重要視されるから、

当然、相談相手のことを全面的に支持できないことは、よくある

 

だから、傷つくと分かっていて単刀直入に物を言う時もある、

最早、相手のことをヒトだと思っていないんじゃないかと思う時も、ある

 

問題を発見した時の私の目線は多分、

酷く冷たく、容赦ないメスのような印象を与えてしまう

 

 

 

こうやって自分の要素を並べてはみたけれど、結論は出ない

私自身の悩みは、誰に問いかけても、解決する確率は低くて、

そもそも、悩み自体もちゃんと理解してもらえないことも多いし、

多分、私の使っている文法が分かりにくいのかもしれないけど

 

 

 

こんなことを、考えている場合ではないのだけどね

昨日眠ろうとした間際に、先生から届いたメールには、

土曜日の24時までに、ドイツ語での履歴書を出せ、との指示

いやいや、ギリギリすぎでしょ、と皆で文句を言ったけれど、

そんなこと言ってもね、期限は伸びませんから

 

明日は予定があるから、今日中に何とか大筋は仕上げないと、ね

あーあ、いつ寝られるのかしら