あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

20.10.2018

 

 

 

今日は都内で野暮用を済ませた後、

ふと、美味しいコーヒーが飲みたいと思ったので、

ずっと気になっていた渋谷の「コーヒーハウスニシヤ」を訪れた

 

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まあ、なんて美味しいコーヒーとプリン

静かな店なのかと思いきや、お店の人は朗らかで、適度な空気感

ここはきっと、また来てしまうな

今度はプレミアムプリンに挑戦したい

 

ようやくずっと読んでいた「薔薇十字団」を読み終える

秘密結社や錬金術、といったオカルティックなモチーフに昔から興味はあったけれど、

結局ちゃんとした知識はなかった

 

薔薇十字団 (ちくま学芸文庫)

薔薇十字団 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

アデプト、ヘルメス文書、グノーシス主義カバラ学、

聞いたことはあるけれどもうっすらとしか分からないそれらの単語の濁流に飲まれ、

どうにか格闘しながらも、大体の概要は理解することができたと思う

 

各年代に、各地で唐突に勃興する「薔薇十字」に名を連ねる人々

でもその存在は不確定で、追えども追えども掴めぬ霧のよう

 

ただ、全体の真相としては、紡がれた物語の一人歩き

芯がなくて周りの靄がかったイメージばかりが増幅して、

異なる側面からは全く違った相貌が浮き上がる

まさに、民間伝承と根源としては同じ

 

私は勿論、そのような不確定な存在をはっきりと信じているわけではない

但し、それを真っ向から否定することは、何の意味もなさないと思う

 

それは “起こるべくして起きたこと” で、

本当の意味で「人間が想像し得るものは、実在し得る」

 

どういうことかというと、

それが誰かの頭に着想し、広まって浸透するまでの根拠がそこにはあるはずで、

それを辿っていくことは、人間の思考の糸を手繰ることになる

 

その糸がどのように紡がれてきたのか、それを知ることは、

大変意義のあることだと、私は信じているから

大切なことは、何があるか、ではなくて、どうやってそれが起きたのか、なのだから

 

 

 

実はこれを書いている途中に、唐突に(11年来?)

たった一人のドイツ時代の友達のお母さんから、

メッセンジャーを通じて母親の携帯に電話が掛かってきた

 

母親はドイツ語はおろか、英語も今や全くできなくなっていて、

私も全然英語ができるわけではないから、恐れ慄きながら電話に出る

(というか、当時から私は英語ができたわけではないから、

果たしてその時どうやって彼らとコミュニケーションを取っていたのか分からない)

 

めちゃくちゃ最初からフレンドリーに話しかけてくれる彼女に、驚く

まるで昨日も会っていたかのような

 

そして、ネイティブスピーカーではなく、今はドイツ語で生活している彼女の英語は、

驚くほど、聞き取りやすくて、私でも容易に理解が可能だった

 

私は中高をたくさんの帰国生に囲まれて生きてきて、

今もバリバリの帰国生や留学帰りの子達に囲まれてドイツ語を習っている

 

正直、英語ができないのはめちゃくちゃ私のウィークポイントでもあり、

コンプレックスでもある

だから私はただプライドが高いだけって事は分かっているけれど、

彼女たちの前で英語を使いたくないし、使わない

 

だけれど、英語を母語としない人とする英語の会話は、

こんなにも心地よいものだっただろうか

 

勿論私も十分に英語を使えているわけじゃないし、

ドイツ語が先行して全然思い出せない言葉もあったけれど、

正直かなり楽しかった

 

友達の方は今出かけているらしく、戻ってきたら連絡させるね、とのことだった

その子とは、ドイツ語で話せたらいいな

(実はまだドイツ語で会話した事は一度もない)

壊れていたSkipeのアカウントがようやく復旧したので、これで準備は万端

 

ちゃんと、私の拙い話を聞いてくれるかしら

 

 

 

iPhoneの世界時計に一つ、ルクセンブルクを増やす

 

新しい知り合いができたり、友達が旅立ったりそういうことがあるたびに、

世界時計が増えていくのは、なかなか素晴らしいことだと、思う