あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

9.10.2018

 

 

 

 

人生悪いことばかりじゃない、そうつぶやいて耐え忍ぶ

 

 

昨日、aikoの直近のアルバムをまとめて2枚、借りてiPhoneに入れた

Apple Music にaikoは入っていないから、こればっかりは頼れない

(その当のApple Music のせいで手こずり、とんでもなく時間がかかったことは、もう過ぎたこと)

 

May Dream は、全体的に失恋の歌が多くて、今の私にはこたえた

別に失恋をしたわけではないけれど、甘やかされたい気持ちだったからだ

 

湿った夏の始まり、という題名がもう、ね

 

まとわりつく呼気の気配と、汗ばむ身体、疼く心

ただならぬ、嵐の夏の予感

 

インターン中に流しで聴いていただけだから、ちゃんと歌詞を噛み砕けていないけれど

まあ、もう秋も深まりつつある季節に借りてしまったのも、どうなのか

 

それから、歌に心を溶かされたくなった私は、新たにプレイリストを作った

もう、全てどうでもよくなるような、安心感のある選曲

それは、最近ご無沙汰していた懐かしい旋律を含んでいた

 

懐かしい音楽を耳にすると、辺りにはそれをよく聴いていた時の残り香が漂う

けれど、時にその残り香の正体が掴めなくて、思い出せなくて、

得体の知れないじんわりした気持ちについていかない記憶が、

首を傾げることもある

 

 

それを流しながらインターンに向かっている時に考えていたのは、

私と、文学、という存在

 

普段、私は周りから読者家だと言われることが多い

 

実際、自分でも趣味は読書だと言っているし、

読んだ本についてはうるさいほど感想を撒き散らすこともしばしば

 

でも、それは他に趣味と公言できる趣味がないから、というのもあるし、

そもそも別に私はたくさんの本を読んでいるわけじゃない

 

そうあることに憧れこそあるけど、その才能がない

遅読だし、時間の割き方が上手くないからだ

 

学術書を読んでいれば、翻訳本を読んでいれば、古典や文学を読んでいれば、

好きなテーマだったとしても異様な眠気に襲われたりもする

 

 

 

それでもね、

本がなかったら、私は生きていかれない

 

 

 

文学好きと肩を並べられるほどの文学好きではないんだと思う

教養だ、という使命感に駆られて読むことも多々ある

 

でも読むことは、例えるなら、私の呼吸装置だ

 

煩わしく感じる時があっても、それが無いと私の中の何かがぐちゃぐちゃになってしまって、何も生み出せなくなる

 

全ての世界の扉を私の前に開いてきたあれらがなくなってしまえば、

私は、前に進めなくなる

 

だからどんなにつらくても、

読むことは私の命を繋ぐこと、書くことは世界を切り取り続けること

生きる糧と、生きる目的

 

多分、高校三年間の記憶がないのも、そういうことだ

つまり私は、死んでいたのだと思う

 

 

 

もう10月半ばだというのに蚊に刺されたり、

休講に気がつかなくて、

(時間の無駄遣いではないけれど)お金を稼ぐ機会を失ったり

まあ、色んなことがあったけれど

 

結局昨夜の優しいドイツ人は校正をしてくれて、

ドイツ語・日本語交えて激烈な感謝の気持ちを伝えることができたし、

彼との飲み会の日程も決まったし、

明後日期限の Diktat の課題もクリアすることができた

 

安心できることだって、同時に起きている

悪いことに隠れてみえるだけだ

 

そういう、些細な日常のいいことを切り取る

一つずつ、積み上げていくしかないのだから

 

 

 

陽が落ちると嘘のように熱気が収まり、

闇が秋の気配を装ってやってきて、芳しい香りに包まれる

 

こんな日は、どこか深い森の奥の方へ、

吸い込まれて消えてしまいたい気分になるね