ちいさい頃に触れ合えていた、
やさしいことばたちと疎遠になってしまったのはいつからだろう
やわらかい文章を綴れるのは才能だと思う
あればっかりはどう積み重ねても装えない
かなしみがそうさせるのかもしれないし、
或いは凍ってしまったあの頃の精神がそうさせるのかもしれない
どちらにせよ私にはできないことなので分かりっこない
大人になるにつれてどんどん小難しい言葉や文章が好まれるようになり、
最初は背伸びして追いかけているつもりがいつの間にか日常となり、
どうも自分自身とは不釣り合いに感じながらも、逃れることは困難だ
明日の課題やプレゼンの原稿は仕上げられても、
今日の穏やかな天気の様子についてさえ語れなくなるのはいささか淋しい心地がする
ブログのタイトルにある『あまだれ』という言葉もそうだ
『さえずり』だとか『こだま』だとか、
幼い頃に手の届く範囲にあったはずのそれは、
いつの間にか非日常の中に溶け込んでしまった
私がいつまでも非日常に憧憬を抱くのはその実、
過去の穏やかな日々への帰還を望んでいるのかもしれない
前に進むことは何かを失うのと等しいのだとすれば、
産まれたばかりの赤子だったわたしは何を持って生まれてきたのか
其処を求めるのが一番大切なような気がするし、
やっぱり失ったものを追い求めて仮にそれを得たとしても何かをまた失っているのであろう、
それはやはり無意味なことだろうか、果たして?
意味をつける行為を出来るのは結局は自分自身で、
そういうことなら意味は言い訳と同じことなのだろう、
理性と感情のバランスを図るのはやっぱり大人になればなるほど難しい
つながる世界にがんじ絡めになりながらも足場を見つけそれらを断ち切ることで、
いつの日かののどかな午後に輝くサンルームで穏やかに過ごしていたい