あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

2.8.2021

先週、髪型をバッサリと変えた

 

ほんとうは、下半分をボブにして、ちょっとパーマを入れて、
耳あたりから下にグレーを入れて、
みたいな髪型にしたいけど

 

残念ながらわたしは春先から縮毛中で(そうしないと夏が乗り切れない)
カラーはうまく長く入らないし
かといって伸びてきている捻転毛気味の根元は、
いまの毛先の重みがあってようやくどっかりと腰を下ろしてくれているわけだし

 

髪型一つ
ままならないことばかりだなぁ、とおもう

 

結局、前髪を眉上で切って、
毛先15センチ程度にブリーチを入れて、
グレーがかった明るい色にしてもらった

 

結局、1、2回シャンプーしたら、
ただの黄金色になってきたけれども、笑

 

会った友人やインターン先の方々には
「その髪型いいよ!」とめちゃくちゃ褒めてくれて、嬉しかった

 

反面、母親の反応はやけに薄い
まあ、気に入ってはいないでしょうね


でもどこかで「それも意外と似合うね」くらいは
言ってくれないかなぁ、と心のどこかで期待していたんだなと気づいて、
そんな自分に苦笑を漏らす

 

 

 

さて、その会った友人だけれども
彼女はただいま夢を追うため、
かなり難しい経路をたどって、スタートラインに立つことまでは叶えた

私は彼女に、早く会わなければと思っていた
なぜならそのことで、あらぬ理由から、
いわれもない根拠で自分のことを責め立てる暗い感情を
掻き立てる要素になってしまいそうだったから

 

思い違いだよ、と、理性的な自分が珍しくも正しく諌めていて
そして会うやいなや、はじめてといっていいほど理性的な自分の正しさを感じた

 

やっぱり、使っている道具が似通っているだけで、
求める本質は全く異なっていた

 

話を聞けば聞くほど、
彼女自身や彼女が置いている環境に畏敬の念を覚えながら、
そこはとても、私が挑戦したいと思う土俵ではなく
私は過去の自分の直感的な理解が正しかったことを知った

 

私は、自分の言葉や文章をつかって
世の中や個人を変えたいとは、やっぱりどうしてもおもえない

 

そうではなくて、身勝手で無意味かもしれないけれど、
私は私のために、この行為をただ為していたい

 

その過程をあちらこちらで、いろいろな形で放流することで、
もしも誰かが大切ななにかを感じたり、捉えたりすることがあれば
それはそれで素敵なことだけれど
そのことを “私の言葉や文章のおかげ” だと考えたくはない

評価されたい、とおもうと
どうしても手元が狂う

 

「誰かのため」を第一の目的とすると
その傷みははやく、
空疎に成り果てることが多い

 

そこの線引きがしっかりとできていないから
ここ数年、内心で混乱する場面が増えたのだなぁ

 

結局原点回帰
調子を取り戻すには、まだちょっとだけ掛かりそうだ

 

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これはリトアニア、トラカイのガルヴェ湖のほとり
澄んでいておだやかな湖畔を散歩するのが日課、なんて生活を一度はしてみたい

 

 



 

 

 

22.7.2021

 

 

この場で文章を綴らなくなってから、長くて3ヶ月くらいのつもりだったのに
知らぬ間に、半年以上も経っていた
それほどにこの期間はもう、めまぐるしく過ぎていき
その速度と自身の矮小さが
深い谷底へと転がり落ちる、小石のようだった

 

私のこの先少なくとも数年へ、大局的な方向性で言えば一生へ
影響を与える物事が決まった

 

それまでは全然、うまくいかなくて
一生定期的に後悔して、もはやトラウマになっているようなヘマも重ねて
乱気流のような感情を抱えながら突っ切ってきた

 

そして今でも、この結果で満足していいのかと
猜疑心を覚えない、といえば嘘になる

 

 

 

私が手に入れたカードははっきり言って
自分にとってかなり良い条件を兼ね備えていた

 

「無いカード」から無理やり選んだわけではない、
自分がやりたいことが叶えられるセクターにいる、
努力次第でどんなポジションも手に入る上に
次のステップに進むことへも、あまり障壁がない
なにより「間違いがない」という点で、もっとも優れている選択肢だった

 

けれど、そこに全く妥協がなかったかといえば、
はっきりとは否定できない
かといって「ではすべてのカードの中から好きなカードを選んでください」と
仮に問われても、多分答えに窮する
どうしても欲しいカードが今ここに存在するわけでも、ない

結局、思考の末に浮き上がるのは、
条件の問題ではなく、自分の覚悟の問題だった

 

 

 

いつも「やりたいこと」と「やるべきこと」が一致せずに、苦しい思いをした
今選んだカードを引けば、その悩みの大部分は蒸発してくれると考えていた

 

でも、それはあまりに安直すぎる思考で
とってつけたような論理で他人は騙せても、
自分の本心は、まったく騙せない


私にとって自由に文章を綴ることは、呼吸に等しい
けれど、現実を直視すれば、
人一人の呼吸に値段がつくことは、ありえない

 

私にしかできないことがなんなのか
私が本当にやりたいことの輪郭が、未だにつかめずにいる

 

こんなときに、ル=グウィンが『ファンタジーと言葉』の冒頭で引用していた
ヴァージニア・ウルフの言葉が思い出される

文体って、全部リズムなの。
いったんリズムをつかんだら、間違った言葉なんて使いようがないの。
それはそうなんだけど、もう午前中も半ばを過ぎたというのに、
わたしはここにこうしてすわり、
イデアもビジョンも頭の中にいっぱいつまっているのに
それを外に出すことができないわけ。
正しいリズムがつかめないから。

 

ヴァージニア・ウルフ「ヴィタ・サックヴァル=ウエストへの手紙」
一九二六年三月一六日

 

私の頭の中でも
興味や関心や問題や痛みの数々が
異なる色の靄としてくすぶり、微妙なニュアンスを形作っている

 

でも、私はそれを人々と共有できる形で
外に出す方法を知らない


それはきっと、この世に未だに発明されていない、
生を受けていないんじゃないかとすら、おもう

 

肩書や活動は、インベントしないとね
もう少し若くて、すべての物事に怒り、絶望し、殴りかかっていた頃の
自分が、そういう風に皮肉に笑う

 

それなのに、
時間が経てば経つほどに、
濡れたインクのにじみが広がっていくように
不思議な色合いが開かれたかとおもえば、
うすぼんやりとした痕跡だけを残し
最後にはなにがなんだか、分からなくなってしまうような

 

どんどんと、自分の力が失われていくように感じる

 

22歳にもなって、大人になったら得られるとおもっていた
色んなことが手付かずのままで、未だ情けない自分のままだ

 

前よりも少しだけ、いろんなことを学んだら
角が取れて、まるくなって、人当たりだけがよくなって
単色だった靄が、複雑な様相を描き、
それはもはや、自分でも捉えきれなくなってしまった

「私の足元にあるものは、一体なに?」
そんな根源的な問いと、向き合うモラトリアム

 

 

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7.1.2021

昨日は深夜3時まで、
大親友と久々のオンライン通話

 

最後に会ってから一ヶ月しか経っていないのに、
主に私の周りであまりにも物事が
目まぐるしく動きすぎて
思わぬ時間まで、もつれ込んでしまったのだった

 

そんな楽しい時間を過ごしたおかげで、
今日はきっちりとフラグを回収するように寝坊

 

ゼミでの写真撮影は、
来週対面で会う時に行う予定だったのだけれど、
緊急事態宣言が出そうな時勢を考慮して、
急遽本日行われることになったのだった

 

記念写真となれば、
流石にノーメイクで行くわけにもいかず
いやはや、よく20分で支度が間に合ったものだと思う

 

結局わずか30分のためだけに、
1000円近い交通費を払ったわけだけど、仕方ない

 

帰り道、友人の一人と途中まで電車が同じで
その時に、教授から聞いた話などをシェアしてもらった

 

曰く、
「最近の若い人は、短期的な目標を設定して達成することができても、
そこにビジョンが伴っていない人が多い、だから大成できない」
とのこと

 

その友人は、まったく非の打ち所がないと言っていいほど、
素晴らしい人間だと私は思っている
けれど、その指摘は彼女に深く刺さったらしい

 

大学生の間、彼女は本当に色々なコミュニティに所属して
数々の挑戦へ足を踏み入れてきた
けれど、その忙しさの中で、
本来、行動の指針となるべき長期的ビジョンを
考えることができていなかったのかもしれない、と言った

 

そして今では、元々そういった野心を持つタイプではなかったのだけど、
やっぱり色々なところから影響を受けて、
仲介者の立ち位置に甘んじるのではなく、
「創る側」に立ちたい、と思ったのだそうだ

 

私は、といえば、近頃、
ベクトルは違うけれど
やっぱり、「創る」ことを辞めることは、
生きがいを失うことに等しいのではないか
という結論に至りつつある

 

昨夜のオンライン通話でも、
もっとプライベートな反省からも判明したことなのだけれど、
私は「他者に話を聞いてもらいたい」という思いが、
人一倍、強いのだということが分かった

 

思えば、当たり前の結論かもしれないけれど、
その究極の形が「書くこと」で

 

如何なるやり方で、人に読んでもらうか
私の話を聞いてもらえるか
源泉は、そこだったのではないかと思う

 

ほんとうのところ、全然自信はない
もちろん、書くことで食っていけたり、
それが世間的な評価を得られるとは、
全然思えないのだけれど

 

それでも、それをキッパリ辞めるというのも、
ネガティブな逃げ、であるように思うし、
そもそも大学に入ってから常に考えてきたのは、
「書く」ための知識を、いかに吸収するか、ということではなかったか?

 

そしてもう一つ、
今日ふと頭に閃いたのは、
何も無理に「一つの自分」になろうとしなくていい、ということ

 

就活の流れの中で、
自己分析、をして、自分を深く見つめようとするほど、
過去の自分と今の自分の乖離に気づいて、
その真偽を確かめようとしてしまっていた

 

けれど、そんなことは無意味で
矛盾した要素、全てを抱え込んだ、複雑な性格こそが、
私の持ち味

 

だから、より他者に寄り添うことができるし、
そうやっていつも、少しでも誰かのためになればよいと、
そんな願いも込めて、「書き続けてきた」のだ

 

だから、どんなに自信がなかろうが、しんどかろうが、
多分その手をとめては、いけないのだと思う
私が自我と他者との関係を、見つめて、保っていく
そのためのライフラインでも、あるみたいだから

 

4.1.2021

三が日の最終日、友人とともに、小旅行

 

最初はサクッとランチでも、のつもりだったのだけど、
結局一日予定が空いていたのと、
お互いに「水辺」を欲していたのとで、
富士の忍野八海へ出かけた

 

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こうやって写真に収めると、中々幻想的だけれど、
実際にはとてもこじんまりした池が、
村の景色の中に、ぽつぽつ、と点在している

 

まあ、湧水なので、
底面までの透き通り方は極上でした

 

 

 

水辺を目的にきた、のではあるけれど
一年越し以上、対面で、ゆっくり話す機会

 

正直、年末年始は自粛ムードであったのは分かっているけれど、
コロナのおかげで、私が3月に帰国してから
本当は真っ先に会うべき理由があったのに、全く会えなかった

だから、このわがままには、目を瞑ってもらいたい

 

彼とは、かなり特殊な関係性
関係の大半を、メッセージのやり取りで構築してしまった、
と言っても過言ではなくて
しかもその大半が、日常のあれこれではなくて、
比較的抽象度の高い議論

 

お互いのことをよく知っているようで、知らなくて
会えなかった期間にも、いろいろあって、
かつ、二人で長い時間を過ごしたこともなかった

 

まあ、どうなることやら、と
会う前まではかなり緊張していたのだけれど
その実、全くその必要はなかったのよね

 

もちろん、とてもとても楽しかったのだけれど、
それ以上に、「ああ、楽だな」という気持ちが先行した

 

多分それは、私が一々アレコレ考えずに喋っても、
遮らずに最後まで聞いてくれるし、大きな曲解はされないだろうという安心感
だし、大まかなセンスでの共通項は結構ある気がする
(お互いに趣味が大衆的ではない割には)

 

自分も相手も、それぞれ何考えているのか曖昧な部分はあるけど
まあ、考えても仕方ないし、それでいいかな、今は

 

十年後くらいにもっとハッキリしたり、しなかったりするのかな、
ということで、笑

 

 

 

そして本日は、たまたま
公開当時からずーっと目をつけていた
レディ・バード”がNetflixのラインナップに追加されていることに気づき、
衝動的に慌ててそれを観はじめる

 

 

レディ・バード (字幕版)

レディ・バード (字幕版)

  • 発売日: 2018/09/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 

本当に数ヶ月前まではどこにも上がっていなくて、
ほとほと、困り果てていたから、もう狂喜

 

そして、思っていた通り、いやそれ以上の映画だった

 

あらすじとしては、カリフォルニアの田舎町の
普通(以下)の家庭環境に育った、
“レディー・バード”と名乗るエキセントリックな少女の
高校最後の一年間を描いた青春ストーリー

 

ただ、カバーしているテーマが広範すぎて、
「もうエンディング?」と思うような「転」の場面が
10分毎くらいに訪れる、密度

 

家族(母、父、養子の兄とその彼女)、様々な形の恋、親友、高校、田舎と上京、
男友達、セックス、進学、宗教など
これだけの内容を、一つの脚本にまとめ上げるって
もう、神様としか思えない

 

私は、青春ものが得意ではない
脈々と流れる「キラキラ至上主義」を感じると、
生理的に不快感を覚えてしまう

 

レディー・バードは
「何者でもない自分」とひたすらに戦い続ける
なんでも口に出すし、なんでも行動に移す
でも、物語の主人公だからと、全てがうまくいくわけではなくて、
裏目に出ることも多い

 

自意識は暴れるけど、本当はちゃんと理性もある
その泥臭くもリアルな描写に、
「そうなんだよ、そう、そう……」と
共感して、涙腺が緩むかと思えば、
どう考えても笑うしかない展開が突っ込まれていたり
(そしてまさしく私のツボ)

 

これ、誇張抜きで、生涯見てきた映画のベストかもしれない
あと100回でも観たい

 

欲を言えば、もっと早く出会いたかった
公開が2017年なのだけれど、
自分が小学生とか中学生の時に観ていたかった
きっと、今とその時では、掴み取る部分が違うと思うけれども

  

31.12.2020

あれれ、と声が出てしまう
見事に12月は一度も更新をしていないらしい
そんなつもりはなかったのだけどな

 

まあ、また新たに始めたインターンが本格化したり、
論文の作業を若干したり、ということは予想の範疇

 

しかし、それ以外にも、
面接を受け始めて、通ったり、落ちたりと、
自分にはどうすることもできない要素を多く含んだり
または全く予想外のアクシデントなるものが起きたりして
そういったものに無意識に精神力を削られていたのかもしれない

 

勿論、同期は来年の3月で卒業して、多くが社会人になってしまう
だから、できる限りの時間を共に過ごしたいという思いはあって
ディスニーシーに行ったり、ホテルで一泊したり、
または美味しいものを食べに行ったり

 

 

 

就活に専念するのが良い、という意見が一般的なのかもしれない
でも、なんというか、
確かに就活と真面目に取り組むことは大事だけど、
それだけ続けていると、
視野が偏狭になったり、むしろ追い詰められそうで

将来何するか以上に、
自分が目指している像から、遠ざかってしまう気がする

 

まあ、いいや

 

思うことも沢山あって、
「怒り」の話とか、「自分のしたいこと」の話とか、「時」の話とか
また、次の更新の時に、まとめられたらいいな

 

 

 

インスタをひらけば、今日は
みんなが2020年を振り返っていて

 

まあ、大変なことが多かった一方で、
こんなにも多くの人が、同じ危機に直面したものだから、
感情を「共有」する場面が多かったように思う

 

勿論、それは「分断」を生んだ、浮き彫りにした、という見方も然り、だと思うけど

 

亡くなった人も沢山いるわけだから、
なんとも楽観的なことは言いがたいけど、
人類皆が「一回休み」を食らったような
そして、今まで爆速で変化してきた自分たちの世界と自分たちの存在を
少しでも客観的に、見ることができたのではないかな

 

恐ろしいのは、この後
デジタル化とインターネット化がどんどん加速する中、
新たに生まれた「時間」を、
さらなる効率化のための加速に使うのか、
それとも減速して、人間らしい生活をとりもどすことに使うのか

 

前者だとしたら、悲しいし、
なんというか、救いようのない世の中だな、と絶望してしまうかも

 

けれど同時に、これからどう生きるか、
どんな社会を形作っていくか
それを決めるのは、多分、私たちの世代であり、
私自身だ

 

流されない、流されたくない
誰も、不当につらい思いをして欲しくない

 

そのために必要なのは、やはり
あらゆる手段を通じて、自分が強かになることだ

 

勉強すること、あらゆる物事を理解しようとすること

 

本当に不毛と思える瞬間も少なくないけど、
あきらめないことが、最終的には大事だと思う

 

もっと具体的なところでは、
「ちゃんとアウトプットをする」ことを意識したい

結局、どれだけやっても、
必要な時に出せなければ意味ないし、
もっと言えば「出していなければ証明できない」ということを
就活などをしながら思い知った

 

自分の内面に溜め込んで、分かった気になっているだけで、
それで終わっている物事は、実は理解できていないことが大半なのかもしれない

 

私は、自分の思考や趣向を他者に話すことを常に恐れてきた
飛び込むことに対しては、そこまで躊躇しなくなってきた今、だから
こうした取組を意識的に行うことが、重要なのかもしれない

 

 

 

とまあ、新年の抱負のようなものをつらつらと書いたけど
(新年の抱負って、新年になってから考えるんだっけ?)

去年の抱負は、
「自分が“何をしてもらったか”に敏感な人間でありたい」だったのか
きっと普通通りの年だったら、
もっと、人と関わったり、助け合ったりしていたのだろうなぁ
などと思うけど、
それでも、何気なくこのことは頭の片隅にはあったように思う

 

理解する努力を諦めないこと、ちゃんとアウトプットをすること
難しいと思うけど、2021年も実り多く、後悔のない一年になりますように

 

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これは、今年の自分へのクリスマスプレゼント
入手したバックグラウンド、端正なデザイン、共に最高で
こういう個人的な「物語」も一つひとつ、大切にしていきたい