あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

25.9.2020

昨日は、私の誕生日

 

去年は、ドレスデンで、たまたま現地のチューターの子に祝ってもらって、
ひとりぼっちをギリギリ回避したのだったなぁ、などと思う

 

あれから、もう一年か

 

ベッドの中、
村上春樹の『1Q84』を今更読みながら
22歳を迎える作品がこれでいいのか、と問いかけ、
まあ、別になんでもいいか、と読み進める

 

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正直、歳を取った、という感覚が全くなくて、関心も薄い
いや、去年もあまり感じなかった気もするのだけれど
年々薄まるもの、なのだろうな

 

 

 

珍しく、当日にレストランを訪れて、
美味しいものを食べ、好きなものを買う
という誕生日らしいこともしたのだけれど

 

正直、九月に入ってからというもの、
予想していたほどに暇、というわけにはいかなかった

 

なんだかんだと毎日入っている説明会やら選考やら
半ばに論文構想の発表を終えれば落ち着くかと思いきや
全然バタバタしっぱなし

 

結構就活関連でやらかしたりして、
朝まで眠れないことだって、あった
(半分は気にしすぎだったのけれど、笑)

 

結局本格化するのは、九月からだったのだな
あれは前座に過ぎなかったのか、と八月中を思う

 

 

 

色々、気づいたことはそれでもあって

 

まず、インターンに参加してみて、
感じたのは
結局、私は「好きなことで飯を食いたい」のだな、ということ

 

やることに対するこだわりは、絶対に捨てられない
たとえそれが感覚的なものだとしても

 

その不確かな頑固さに辟易としていたけれど、
インターンを通じて、
好きなことが、少なくとも自分の不得意分野、
つまり下手の横好きというわけではない、ということに気づいた

 

正直、書類だけとか、テストとか、
何を評価されているのか漠然としている中
何が確かで何が不確かなのか、
全て「らしい」でしか括ることができなくて

 

それはひとえに、今まで私が
アウトプットの作業を、サボってきたからだ

 

機会に恵まれなかった、とも
自分が踏み出す勇気が、やっぱりなかったというのかもしれないけれど

 

「選ばれないコンプレックス」を抱えた私には、
評価の対象となるのは、やはり、恐ろしいことではある

 

けれど、いつまでもそうも言ってられないし

 

 

 

そしてたまたま誕生日の朝に入ってしまった、
新たなインターンの面接

 

色々懸念点はあったけれど、
とりあえず働くことはできそうで、安心

 

そこで色々な話をしたのだけれど、
「どんな大人になりたいですか」という質問に
一瞬戸惑った

 

それは、大切な問いだと思う
最近、もう一つ気づいたのは、
私には「成長に対する意欲」が、完全に欠落している

教養をつけたい、こうした人物像になりたい
そうした大枠があっても、
仕事という側面からではない

 

こういう仕事をしたい
結果としてこういう成果を生みたい

 

そうしたものはあっても
結局、自分像は、物事が反映された結論であって
目指せるものじゃないという諦念にも似た観念を持っている

 

結局、どうしたいか、そのためにはどうすることが必要か、
という側面で答えたけれど、うーん
果たしてこの問いで良いものか

 

22歳の抱負、なんてものも全く思いつかなくて
とにかく目の前に迫ってくることに、
なるたけ全力で向かうこと、くらいしか

 

 

 

そうね、でもそれでも

 

どんなに自分に余裕がなくて、
辛い状況に陥ったとしても

 

他責に甘んじないで、
人に対してやさしくいたわる事を
決して、わすれないでいたい