あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

12.8.2019

 

 

 

ひとつも、正しい言葉が見つからない
そんな出来事が起きた

 

 

 

朝、登校してみると、クラスの前に人だかり
誰も中に入ろうとしないのを訝しんでいると、
日本人の参加者が事情を説明してくれた

 

土曜日の遠足で、湖で溺れて重体になった人がいる
まだ容体は分からなくて、時間になったらみんなで話を聞くことになっている
それというのも、彼は私たちと同じ日本人だった

 

 

 

時間になって、中に入って、席を見つける
すると、すでに何人か泣き崩れている子がいる

 

まさか、と思っていたし、
そんなことは考えたくなかったけれど、
嗚咽を漏らしながら話す先生から出た言葉を聞いた途端に、
もうどうしていいのか分からなくなってしまった

 

彼は、とても快活で、コミュニケーション能力も高くて、
優秀な子だったから、奨学金も貰っていたし、
この後は違う国へ交換留学へ行く予定だったのだという

 

さぞかしよくドイツ語を勉強していたのだろうな、と思っていたけど、
ドイツ語をやっていたのは、高校生の頃だという

 

私には彼のプランのつながりがひたすら見えなくて、
ただ、彼は私が一目では目に収められないような、
壮大なプランを持って、全力で今を生きていたのだと思う

 

そして、それを応援して送り出した周りの人、
両親の気持ちを思うと、本当にいたたまれない

 

運命とは、神とは、残酷だ
もし、彼が私と同じ方面の湖に来ていたら、
そもそも他の予定があって参加していなかったら、
そんな意味のないことを、ぐるぐる考えた

 

残された日本人は、
殆ど誰も彼と話したことがなかった
語学のコースだから、同国人て固まるのは良くないことだし、
彼もそういう雰囲気を出していたのであえて話しかけなかったし、
誰も同じクラスではなかったし

 

けれど、日本式の見送り方は、私たちしか知らないわけで、
先生方に頼まれて、今日は授業に出ず、
何か弔えるものを、と
みんなでメッセージカードと、千羽鶴を折ることにした

 

千羽鶴は、本来病人に贈るものだけれど、
鶴自体は、死者に贈っても大丈夫だというので、
コピー用紙を正方形に切って、
他の国の子達にも、鶴を折続けてもらう

 

私は、千羽鶴を作ったことがないし、
ましてや異国の地でそんなことをすることになろうとは、夢にも思わなかった
本当に多様な国籍の人が、一様に鶴を折っている姿は、
不思議だし、少し異様だったけれど
途中からは日本人が彼らに教えるだけでなく、
彼らの何人かが他の人々に教えていたりして

 

一回も喋ったことがなかったし、
その現場に居合わせたわけでもないし、
今の彼の姿を見ているわけでも、ない

 

だから、正直未だに彼の身に起きたことが、信じられなくて
明日になれば、あの大教室に、ひょっこり現れているような

 

そんな私が、亡くなった人の気持ちを汲み取れるはずがないけれど、
海外好きだったという彼が、
色んな国の人から、思いのこもった千羽鶴を贈られている
そのことだけは、唯一の幸せなこと、だったのではないかと
いや、そう思ってくれていることを、ただただ、祈る

 

祈る事しか、もう叶わないのだから

 

 

 

そんな不幸が起きてしまったので、
他に参加する予定だった日本人は来なかったけれど、
私的には、私がそれを理由に行かないのは、違う、と思ったので
(彼らの選択肢が間違っているという意味では、勿論ない)
午後のプログラム、ザクセンハウゼン強制収容所見学に参加した

 

人と話す気持ちになれるだろうか、と心配していたけれど、
案外、話しかけてもらえれば、ちゃんと笑えるんだな、と思うと同時に、
能天気な自分に、罪悪感も芽生える

 

収容所は、広島の原爆ドームのような生生しい展示物はなかったものの、
鉄柵が形取っている "Arbeit macht frei" は、心に重くのしかかる

 

何の変哲も無いような石畳の上では、
労働者が、30、40kgもの荷物を背負わされて、
一日30、40kmも、死ぬまで歩かされたのだという
ただ、どの素材の靴が一番疲れにくいのかを知るためだけに

 

広大で、ともすればのどかにも見えるような、三角形の敷地
この中で、なんと多くのユダヤ人を始めとした囚人が、虐殺されたことか

 

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なんども、なんども、
どうしたこんなことができてしまったのか、と思う

 

比べても仕方がない、とは分かっているけれど、
この土地にやってくるたびに、
本当にそんなに恐ろしいことが起きていたのか、と

 

ドイツ語が分かるようになってから、ベルリンの街を歩くと、
いたるところに立っている記念碑や、慰霊碑の数に驚く
そしてその公園や、碑石と、人々の朗らかな暮らしが調和している
奇妙なことだけれど、これが現実

 

Station Zの碑文には、
「私が知っているのは、こうした碑がひとつもないヨーロッパなど、
この先の未来では存在しないだろうということだ」
という言葉が刻まれていて、強く胸を打った

 

物事は、大小関わらずなにも、
なかったことなんて、到底できないのだ

 

 

 

こうした形になっていなくても、
どんなに些細なことでも、
誰かの心に、物語は生き続ける

 

そういったことを胸に留めて、
毎日毎日、当たり前にある時間を、丁寧に過ごしていきたい