あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

19.5.2019

 

 

 

 書き留めよう、書き留めよう、と思うことが沢山ある日ほど、
なかなかここにやってくるまでの気力が湧かない日が多いもので、
人生、を語ってしまっては大げさすぎるとも思うけれど、
それでも人生は難儀だな、と思う

 

木曜日のとある講義で、
「人々が、ゲームをする時間はあるのに、本を読めない理由は、
面白い本がどれだか分からないせいだ」
という統計結果が出ていることを知る

 

面白い本がどれだか分からない、なんて思う人がいるのか、
そもそも本屋になど滅多に足を運ばない、なんて人が大勢いるのかと

 

小さい頃から、どうしてだかは忘れてしまったけれど、
本屋には足繁く通っていた記憶が、強い

 

それは多分、母親が本を読む方の人間だったからだろうし、
実は私が初めて本と言葉の世界に魅了された本を選んできたのも、母親だった

 

Amazonプライムでドラマ漬けになってしまっている今からは、
想像もつかないけれど、
かつての母親は活字中毒というほどに本を読み捨てていく人間だったらしい

 

一概には言えないのかもしれないけれど、
それでも家に本があって、いつでもその世界にアクセスできた自分は、
幸せ者だったんだな、と思った

 

 

 

金曜日は、ありえないほどの不幸が重なった
インターンに行くところまでは良かったのだけれど、
中途半端なタイミングで仕事が回ってきて、
初めてのことに焦って上手く行かなくて、ボロボロ

 

挙句、リミットは迫っているのに、
最後の仕上げの段階でMacがダウン
充電コードの充電量が、PCの消費量にどうやら追いつけないらしく
泣きそうになりながら、必死にスマホから原稿を納める

 

そして、こんな日はタピオカに尽きると思って買ったタピオカは、
少し硬くて芯がいくつか残っていて、
ストローに詰まってほどなくして吸えなくなって

 

やけくそに入ったラーメン屋では、
恥ずかしいことに、券売機にお釣りを忘れたことを指摘されたり、
もう最後は、笑うしかなかった

 

茫然自失とはこのことよ
しかも、当然ラーメンとタピオカが同時に入るわけもなく、
結局お腹は苦しくなっちゃってるし

 

そして、死んだように眠りにふけった、深夜二時、
酔っ払った母親の騒音に叩き起こされた

 

 

 

土曜日の朝は、もうふて寝
こんな日はもうどうしようもない、
そもそも今週一週間は異様な疲れが溜まっていたし
ゼミの課題本を一気に読破し、ドイツ語には触れたので、OKとした

 

そして今日、来たる日曜日は、比較的爽快な目覚め
午前中はドイツ語に注力して、
午後は珍しくカフェに出かけて、ディケンズの『二都物語』の続きを読む
その時にいただいたプリンがびっくりするほど美味しくて、
もうここにきたらプリン、と決めることにした

 

二都物語』は、フランス革命前後のロンドンとパリを舞台にした歴史劇だ
ディケンズだからそんなに重たくないだろう、と思って手にしたのだけれど
彼の作品の特徴である、キャラクター性に富んだ登場人物、
誰もにちゃんと個性が息づいていて、感嘆の息しか漏れない
(そして、私の推し毎度のごとくだけれど、やはり死んでいった……)

 

それはともかく、一番印象に残ったのが、
「描写が映像的」だということだ

 

これは解説の項目でも指摘されていて、
当時映画が制作され始めていた時代だったので、
ディケンズはそれを想定して書いていたらしい

 

とはいえ、
制作されはじめ、ということは当人も大して本数を見ているわけでもないだろうに、
どうしてこんな豊かな描写ができるのだろうと首を傾げてしまう
フランス革命の血生臭さは、ページから漂ってくるようだし、
民衆の怒りに満ちた熱と破壊衝動が街を転がって行く様が、ありありと浮かぶ

 

実はこれが私にとって最初のディケンズだったのだけれど、
他の作品も読破したいなぁ、と思わせてくれる素晴らしい小説だったな

 

まあ、そろそろ英文学フェアは終わりにして、
ドイツ・ロマン主義の方に移行しないと本当にヤバイのだけれど、
一応家に残るはあと一冊、ウルフの『ダロウェイ夫人』だ
20世紀モダニズム文学の難解さに、せいぜい足を掬われなければいいのだけれど