あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

30.4.2019

 

 

 

今日が平成最期の日だったとしても、一見私が無感動に見えるのは、
それがどうでもいいということではなくて、まだそのことが信じられないというだけだ

 

朝起きてすぐ、ドイツ語の課題をやって、先生に送る
懸念事項は、できるだけ平成のうちに終わらせてしまいたい
午後のうちにメールが返ってきて、一安心

 

それから昼ご飯を食べに出かけて、
帰ってきて寝てしまわないうちに、久しぶりに映画を見る

 

タイトルは『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(原題: Elser)
ナチス政権下、ヒトラー暗殺未遂の実行犯の半生を描いた作品
正直、この映画の内容、というよりも、
この人物、ゲオルグ・エルザーが評価され始めたのが、
東西ドイツ統一後だということに驚く
それまでは双方から無視されたり偏見を持たれたりされていたのだという

 

彼が行ったことを絶対的に支持するのは、当然倫理上の問題から難しい
けれど、「今、急進的な方法を取らなければ崩壊を迎える」と、
彼が抱いた危機感には、共感する

 

私が今大学で学んでいることから漠然と考えるのは、
政治家も、国際組織も、今世界を担っているとされている役職自体には、
なんら世界を変える力はないということだ

 

いつだって、世界を変革していくのは、
社会や世界の様々なしがらみから“孤立”した個人個人の運動だった

 

個人の力は弱い、と一般的には信じられている
でも時に私は、人々はそう思い込まされているのだと思ってしまう瞬間がある

 

その背景には悪意があるのか善意があるのかはケースバイケースだけれど、
ある一定の静止した秩序を求める視点からすれば、
人々がそう思い込んでいることは好都合だ
似たようなことをルソーが『人間不平等起源論』で述べているけれども

 

自然状態的に、今ある秩序と別方向に進もうとする人間ほど、
誰からも危険視されるものはない
だけど、政治的なことでない限り、
人は人に「リスクを取れ」とか「なんでもやって見ることだ」とか
アグレッシブなことを肯定したりするんだ

 

よくよく考えれば明白な矛盾なのに、誰も答えを知らない、教えてくれない
だから私たちはすぐに路頭に迷ってしまう

 

誰のために、何をすれば良いのか?
自分のしたいことだけをして生きるのは、悪なのか?

 

普通にナチスに従属してしまえば、地獄のような体験をすることはなかったのに、
それでも修羅の道を選んだ主人公の姿に、
勿論比較にならない、おこがましいと分かっているけれど、
今までいつも、私なりに信念を定めて辛い道ばかりを選んできた自分を重ねた

 

彼のような社会や世界に対する反抗心を抱いているわけではないのに、
自分はどうしてこんな辛いことをしているんだろう、
こうしていなかったら、今抱いている悩みの8割は雲散霧消するのに
いつも繰り返し、飽きもせずに考えてること

 

毎日毎日、暗いことばかり考えてしまうな
できるだけ日々のことも美しく切り取れたらいいのに、
こんな小さな願いでも、無力な私にはいつまでたっても願いのままだ