あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

18.2.2019

 

 

 

また、昨日の夜はすぐに寝付けずに、

朝は一時間近く寝坊してしまい、慌てて支度をして出る

 

 

 

さて、最近読書をしていると、

大体100ページでまぶたが耐えられなくなってきて、

本を伏せて寝てしまう、ということがずっと続いている

 

これは、日々の疲れのせいなのか、

学術書ばかりで内容が小難しいからなのか、

それとも、両方なのか

 

実は昨日久しぶりに、現代作家の恋愛小説なるものを買って、

電車の中でそれを読み始めた

その時には、全くまぶたが重くならなかった、

それは多分、使っている脳の部分が違うからなんだろうな、と安堵

 

中学生の頃の自分は、平気であんなに長時間の読書を続けていたのに、

最近は全くできないものだから、

読書の才能をどこかに失くしてきてしまったのか、と思ってしまっていたから

 

 

 

恋愛小説は、一番避けてしまうジャンルの一つ、

私に似合わないから、と思い込んできた節はあったな

 

だけれど、

大体流行りものの恋愛小説(いわゆる「映像化」されやすいもの)を、

人に勧められて借りて読んだりもしたけれど、

あまり、楽しめなかった

 

唯一私が読める恋愛作家は、

有川浩豊島ミホ

有川浩は最近ちょっと方向性が変化しているし、

豊島ミホは小説家としての活動は、確か休業中のはずだ

 

 

恋愛小説が嫌いなわけではない、

王道のジェイン・オースティンも、

小説中で描かれる恋愛要素も、好んで読むし

 

 

 

ただ、現実と空想の境目が、はっきりしていない作品が嫌いで、

ただこの基準は、とても恣意的だな、とも思う

 

現実的な世界観の中で空想上の出来事が、

当たり前のように転がっているという展開は、

「空想的」すぎて好きじゃないし、

反対に空想上の世界観の中で描かれる、運命的で一生に一度の大恋愛は、

果てしなく好みだし「現実的」だ、とすら思う

 

これはつまり、

「蓋然性」の問題であり、また「因果」の問題だ

 

その出来事が起きる可能性を、私が高く見積もるか、低く見積もるか

ありえない世界の中では、ありえないことも起きる、

けれど、現実ではそんなこと、起こりえない

 

それを楽しむのが小説であり、ファンタジーなんだろうけれど、

何故かそのことについての私の審査は、非常に厳しい

 

そして、「因果」の問題というのは、

関連しつつも、また別案件

 

「それは起こるべくして起こった出来事だったのか?」という問いは、

上記の件に当てはまるけれど、

特に恋愛作品の場合は、

「何故その人じゃなきゃいけなかったのか?」

ということが明確に示されていなければ、

または丁寧に描写されていなければ、私は納得することができない

 

何故なら、こういう作品の場合、

理解不能な主人公たちの行動原理のおかげで、

めちゃくちゃな思いをする人物が必ずいて、

でも、その人の悲しみや苦しみは掬われず、全く報われない

 

そして多分、私が感情移入してしまうのは、彼らに対してで、

何故なら心のどこかで「私は主人公にはなれない」という思いを抱えているからだ

 

適当な気持ちで周りを振り回すな、とも思うし、

何よりも作者の怠慢だな、これ、と思ってしまうのだった

 

この点、ファンタジー作品は理由付けが容易だ

一緒に危機を乗り越えたり、困難を克服していれば、

その経験を共有した人として、相手が唯一無二の存在になることは、分かりやすい

(だから他の作品の伏線読みが、好きになってしまうのよねぇ)

 

 

 

まあでも、これは私の恋愛経験が極端に少ないせいなのかもしれないし、

恋愛にロジックを持ち込んだそのこと自体が、恋愛経験が少ない原因なのかも

 

卵が先か、鶏が先か、

結論は出ないけれど、

でも多分、今この時期にこの小説を何故か手に取ってしまった、ということが、

私の心の中を映し出す鏡になっているのかもしれないな、

なんて、その本をレジに運びながら、私は思ったわけです、

どうなのかしらね