あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

7.11.2018

 

 

 

朗報も、悪いお知らせも、どっとやってきた

一日で噛み砕くには、あまりに、重い

 

 

 

近所で、小さな命の灯火が、突然ついえたという知らせ

こういう時、基本的に私の心は冷たいままのことが大半だったのだけれど、

今回は、無性に悲しくなった

 

それは、もしかしたら彼女が我が家にやってくるかもしれなかったから、

ではなく、写真の中に写っていた彼女を見ていただけなのに、

その小さな温もりが、徐々に失われて、冷たくなっていく様が、

何故か、ありありと想像できて、私の感覚に沁みたからだった

 

見たことも、聞いたこともなかった、その命だけれど

昨日までは温かったそれは、もう一生戻ってこない

そのことが、悲しくて、悲しくて

 

 

 

昨日、忘れそうだなぁと思って書き出しまでしたタスクを、

また2つも、忘れてしまう

致命的なミスではないし、大して人に迷惑をかけていないのもあって、

どこまでいっても、私は私なのだなぁ、と

私らしすぎるうっかりは、最早我ながら、愛おしさすらある

さして気に病まず、そう思えるようになっただけ、成長かもしれない

 

 

 

インターン中に、PCで作業しながら、

ふと、指輪が目に止まる

私は本当にずぼらな女で、アクセサリー類をほぼつけない

ネックレスも、イヤリングも

そのことを友人に話したら、

「でも指輪はよくしているよね?」

と言われて、確かに、と思ってしまった

 

私は完全に、指輪のことを忘れていたし、

アクセサリーとして認識していたか、危うい

 

確かに私はいくつも指輪を持っているのだけれど、

それはなんというか、習慣というか、私であることの証というか、

要は「こだわり」なのであって、「おしゃれ」ではなかったのだ

 

それは、多分、

指輪はいつも、その様子が私から見えるからなんだろうな

他のアクセサリーは見えないから、気にならない

 

自分に対する「こだわり」は、たくさんあるけれど、

他者からよく見られたいという「おしゃれ」には、

実はあまり興味がないのだった

 

この緑色のセーターは、セールで買い叩いたものなのだけれど、

結局色が好きで、気に入っている

このセーターには、このガーネット色が映える、と思いませんか

 

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『カレワラ』の上巻を、読み終えた

今日、打ち解けた男の子に新しく本を借りたので、

そちらが早く読みたかったのもあり、怒涛の勢いでページをめくる

 

私は、無宗教だけれど、

何故かアニミズム的な考え方には、強い共感を感じる

 

それは単に幼い頃からギリシア神話に慣れ親しんできたからかもしれない

けれど、やはり、自然は偉大だと思うのだ

偉大ゆえに、全てを知りたくない、畏敬を抱いていたい、という気持ち

知らなくても良い、ということは、ある種の安心感をもたらす

 

それにしても、この考え方は、本当にnaturalだと思っていて、

どうして、人はこういった考え方に、皆落ち着かないのだろう、

と、比較的平和な世界に生きている私は思ってしまう

 

狩猟民族と農耕民族の話なら、有名だけれど、

私は自分がどちらの側面も持っていると思うし、人は誰しもそうあるはずで、

それぞれの考えが違うことは、よくあることで、

それぞれの信じるもの、というものがあって、

それを一つに統一しようなんて、無理な話で

 

そこにあるもの、に畏敬をもって接することは、

平和への、確信的な道のりだと思ってしまう

人も、物も、自然も

崇拝は、神に限らないと思うのだ

 

『カレワラ』は、フィンランド旅行の為に読み始めた

フィン人の人々の、心の源流に触れたくて

 

「不抜たる」と言われている割には、泣いたり怒ったりする、

大英雄なのに老人で、若い娘に求婚(してフラれる)大魔法使いの詩人や、

「小さくもないけど、大きくもない」と言っているのに、

めちゃくちゃでかいやないかい!とツッコミたくなる独特の言い回しが、

時折、滑稽に映る

 

意外だったのは、女性がとても尊ばれていること、

そこには、比較的男女平等な世界観が広がっていたということ、

少なくとも「かくあるべき」と人々が思っていたようだ、ということ

 

そして、女性にとって結婚は奴隷になりにいくようなものだと、

そういう視点から語られている民話も、とても珍しい

 

勿論、肉体がばらばらになったり、流血したり、

それらしい生臭い表現もたくさんあるはずなのだけれど、

それを強調せず、自然の流れの一部として語られる、流暢さ

 

そして、彼らは、本当に自分の「家族」という紐帯を、大切にしているのだな、

ポポヤの乙女が、イルマリネンに嫁ぐシーンで、感じた

 

フィンランド叙事詩 カレワラ〈上〉 (岩波文庫)

フィンランド叙事詩 カレワラ〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 

 

 

中間選挙の結果を見て、

正直なところ、内心ではガッツポーズを決めていた

正直、かの治世や言動は、見るに耐えなくて、

最早疑問や悲しみというよりも、苛立ち、という感情の方が近い

 

どうして、いとも簡単に、あんなことが言えるのだろう

強者には、弱者の気持ちが分からぬ、その逆も、しかり

そのことを、何度も何度も鋭く刻みつけられるようで

 

イギリス帰国の友達が、

「あの人の英語の発音は汚くて、本当に嫌だ」

と言っていたのを思い出す

 

私には、そこまでのことは分からないのだけれど、

でも演説を聞いている時に、肌身に感じるのは、あまり良いものではない

言葉を、不正に扱っている、と感じてしまうのだ

 

私は、正義感が強い方かどうかは分からないけれど、

「不当」や「不正」に対しては、異常なほど敏感だ

 

だから、彼のやり口は、本当に好きじゃない

インターン先の先輩も、同じ意見で、心底安心する

様々なバックグラウンドを持つ議員の当選情報を眺めながら、

まだまだ移民国家も捨てたものではないな、と(少々上からみたいだけど)思う

 

 

 

そしてついに、

「今までどうして、釣り合う男がいなかったのか?」

という、綺麗で聡明な友人に、彼氏ができたようだ、ということを、

一日の終わりに、唐突に知る

 

先月だけで、これで私の周りでカップルが、3、4人増えた

いやはや、喜ばしいことなんだけれどね、

いわゆるラッシュ、ですね

 

取り残されている、ということに別に落ち込んでいるわけではないのだ、

ただ、この件だけではなく、

むしろ今まで歪んでいた世界が、

どんどん、カチリ、カチリ、と音を刻んで、正常に戻っている感じがする

これが「正解の世界線」とでもいうように

その線への回帰のスピードに、飲まれているだけ

 

 

 

だらだらと色んなことを語ってしまったけれど、

印象的すぎて、全部残しておきたかったの、許して

 

でも、これらをトータルしても、

私は依然として私のままで、私のできることを、淡々とこなすだけだ、

という冷静さはまだ残っている

 

できるだけゆっくり、緻密に積み上げていけたらな