あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

5.11.2018

 

 

 

今日からまた、1週間が始まる

 

 

 

今日は放課後に、いつも仲良くしてもらっている人々との読書会、なるものがあって、

だから、ちょっとだけ自分の読書について考えた

 

 

 

自発的に本を読み始めたのは、小四の時だったか

それ以来、本を持ち歩かずに外に出たことは、ほとんどない

 

中学生の時は、それなりに量を読んでいたし、

スピードも、なかなか

恐らくそれは、一生涯に残るような面白い本に、沢山出会えて、夢中になっていたから

 

これは小学生の時からなのだけれど、

電車の中で手持ち無沙汰になると、広告の字を全て読んでしまっていた

週刊誌の、くだらない報道文句まで、全て、全て

当時の私は、まさに活字中毒だった

 

だけれど、高校に上がると、その読書癖はかなり、抜けてしまった

朝も夜も、部活で疲れきっていて、寝ることに夢中になっていたから、

というのはあるけれども

 

やはり、『ガリア戦記』のせいだろうか

 

 

 

私は、中学から高校に上がる春休みに1ヶ月間、

立て続けに2冊の難読書に挑戦した

 

それは、『ガリア戦記』と『百年の孤独

 どちらが先だったかは覚えてないけれど、どちらも読破に1ヵ月近く要した

 

百年の孤独』は桜庭一樹の影響だったけれど、

ガリア戦記』は、たまたま学校の図書館で発見したものだった

 

結果からいって、

世界史の知識もろくにない者が読めるような本ではないし、

登下校の片手間に、少しずつ読み進められるようなものではなかった

 

その当時の私は、

三頭政治の三人も、

ケルト人とゲルマン人の違いも、

ガリア”がどこを指しているのかさえ、理解していなかったのだから

 

そこに、無尽蔵に現れる族の名前や、その族長の名前

ヘルウェティイ族や、ウェルギンゲトリクスという名前が、

繰り返し出てくることしか分からない

 

多分、その時、初めて気づいた

理解できない読書があるということ、

それはとても、辛くて苦痛で、

終わった後にも酷い疲労感に襲われてしまう、ということ

 

私が読書から足が遠のいたのは、それが要因かもしれない

高校の図書館が有用なうちに、名著を吸収しなければならないという焦り、

でも、それに消費する体力がない、という諦念

 

私は出来るだけ海外小説を読むようにしたけれど、全然早く読めないし、

そのおかげで、その時点での積読は、未だ消化されてないという状態

 

とても、後悔している

中学生、高校生のうちに、もっと名著を読み込まなかったこと

真面目に読書しなかったこと、読む力を、失ったこと

追いつけなくて、どんどん文字の蒼海を泳ぎきる力もなくて、

息もままならずに溺れていく感じが、苦しくて仕方ないのだ

 

 

 

私は本と向き合っていなかった時間を、確かに恥じている

それは変わりないけれども、 だからと言って、

何も読んでいないわけではなかったかもしれない、ということに思い当たった

 

むしろ、言葉と向き合う時間は増えていたかも

 

 

 

趣味用twitterアカウントは、全て取り残さず、異様な執念を持って、遡って読んでいた

これは最初、創作用に作ったものだったのだけれど、

次第にフォローは雑多になっていき、私の趣味のごった煮状態に

 

おまけに、フォローのアカウントを見ていれば、

各時代の私の熱中していた分野やジャンルが、地層のように重なっているから、

ある意味、自分の歴史を見ているようで、興味深いのだ

 

そこからは、本当に様々な知見を得た

様々な人の考え方、問題に対する切り口が、

最早バイアスもかからない状態で、洪水のように溢れかえっているから

 

勿論、ネットの情報は100%信用してよいものではないのは分かっているし、

悪質な情報に溢れている

 

でもそのことを教えてくれたのは他ならぬインターネットだったし、

そこから選び取るノウハウも、身につけた

何より大きかったのは、私より歳が上の人の思想や交流に触れることができたからだ

 

相互の人も、フォローしている人も、ほとんどが私よりも年上で、

年下の子は殆どいないし、同い年に至っては、何故かゼロだった

 

20代、30代、あるいはもっと上の人もいたかもしれないし、

学生、社会人、絵描き、物書き、自営業、

とにかく様々な社会的ステータスを持つ人が、そこにはいる

 

その人たちの呟きや作品、言及しているリンクを調べ上げることは、

絶対に、無駄ではなかったと思うし、確実に私の世界は広がった

 

そして、結局私を読書に立ち返らせたのも、

言わずもがな、インターネットの広大な海だったのだから

 

私は、同年代に「考えが達観している」と言われることが、多い

自分ではそこまでだと思わないけれど、

一方で確かに、同年代の人とは違う考え方をしていたり、

自分の方が引き気味で物事を見ている時があるな、という自覚はある

 

 

 

 今、突如ひらめいた思いというのは、

やっぱり、その後、読む量が減ったとしても、

あの時に『ガリア戦記』は挑戦してよかったな、ということだった

 

こんな前向きな考えは、今までの私なら考えもしなかったことで、

それは多分、最近また読書を始めたことに起因しているかも

 

じゃなければ、私は一生、読書が本当の意味で、

己の糧に、教養になるということに、気づけないまま、

快楽的な読書にやはり溺れながらも、罪意識すら持っていたかもしれない

 

アカデミックな意味での、読書の大切さに気付けていなければ、

きっと、今の私の目的意識も、育っていなかった

 

 

 

そして、読書会なのだけれど、

なんと結局、本については殆ど言及せずに終わった笑

 

性悪説性善説についての議論、ということだったのだけれど、

話はものすごい勢いで飛躍して、

哲学、思想、歴史、生物学の間を、軽やかに駆け巡る

 

普段はそういう話を心に秘めているけれど、

こういう場になると、ついつい喋りすぎる私

 

引かれていないか、心配だけれど、

それでも、みんなちゃんと真剣に聞いてくれて、

それなりにしっかりとレスポンスが返ってくることの、安心感よ

心底、この人たちに巡り会えてよかったな、と思うのです

 

取り留めのない議論だったし、結局結論という結論は出ていないのだけれども笑、

これはこれで、楽しかった

そのあとに食べに行ったラーメンは、美味しかったしね

 

次回も開催されるかしら、

その時は、テーマの本を一冊決めよう、ということになったけれど

私は、その時を心待ちにしているよ