あまだれのごとく

時々迷い込む後悔の森

20.9.2018

 

 

 

どんよりと濁って沈んだ気持ちは、結局次の日まで持ち越されて、
昨日は結局一日中、家を出る気持ちにさえなれなかった

 

そして今日も、早起きして色々活動する予定だったのだけれど、
やはり一時間寝坊して、こなすことができなかった
毎日午前三時ごろまで寝付けていないのだから、当たり前と言えば当たり前
結局二度寝して起きたのは10時、
何をするにもここ数日心をざわめかせている案件が頭を離れなくて、
苛々が止まらない

 

本当は課題に焦らなければならないのだけれど、
心を落ち着かせるためにコトコトとスープを煮始める

 

といっても、
炒めた玉ねぎとホールのトマト缶、コンソメと塩を合わせて、
余り物のセロリを刻んで投入、ローリエと煮込んだらブレンダーでなめらかに、
最後に牛乳を足しただけの簡単レシピなのだけれど

 

料理は、何か意味のあることをしているという安心感と、無心になれるのが良い

 

午後から上野に出かけることになっていたから、
それまで若干課題に触れてから、雨の降りしきる外へ向かう

 

この雨の中並ぶのは辛いから、やっぱり寝坊して正解だったかも、
などと思いながら歩いていると、少し気持ちが和らいだ
頭が悲鳴を上げている時に、他の部分を動かすのって、
結構大事なんだと思う、忘れてしまいがちだけれど

 

電車に揺られながら、Apple Musicで椎名林檎を呼び出す
前から気になっていたし、絶対好きだと思っていたのだけれど、
大海に足を踏み出す元気がなくて、保留のままになっていたのだ

 

初心者向けにプレイリストをあらかじめ組んでくれているのがとてもありがたい、
そのアーティストを知るための道しるべは大切だ

 

その音楽をかけたまま、とある人の文章を読む
プレゼンの原稿を頭にいれる気分には、とてもなれなかったから

 

すると、一度読んだ記憶のあるその文章でさえも、違った趣を持ち始める
ブルーハワイのように透き通った青だったそれが、
メラメラと突き進む炎のように思えてくる

 

耳から流れる音楽が、読む文章へ影響することは、前から感じていたけれど
五感と五感の出会いもまた、一期一会なんだよな

 

目から、耳から心の琴線をつねられながら、私は首をかしげる
その人の発する言葉の質量は、一体何処からやってくるのだろう

 

 

 

友人と会って、お目当の展覧会に出かける
上野の森美術館で行われている、「世界を変えた書物展」だ

 

正直、私は異様なほど、数字に弱い
それは周囲が眉根を寄せるほどで、
「別に、数学みたいな合理的思考とかができないわけじゃないのにね」
とよく言われる、
そりゃそうだ、だって私ができないのは四則計算そのものだし

 

この展示は金沢工業大学所蔵とあって、
もっぱら物理や化学など理系分野の叡智が集結していた
だから私には「うっすら記憶がある」程度で、
残念ながらその分野に造詣が深い人ほどの感動を得られなかったのではないかと思う
それでも、やっぱり「本」には惹かれてしまう
恥ずかしいくらい英語も読めないけれど、美しい装丁の古書には魅了される

 

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ここのところあったこと、全部ぶちまけたけれど、
その友人が受け止めてくれたから、私の心は少し晴れた

 

一瞬、その子にも色々思うことがあったり、なかったりしたのだけれど、
結局、人付き合いは分野の相性と距離感、それからバランスなのだな、と思った
この人にこのことを話しても、納得する答えは得られないけれど、
この分野の話なら、楽しく話すことができる

 

勿論ある程度大人になった今では、自分が意図してそうしているわけではなくて、
タイミングと運命の働きで偶然そうなってしまうことが多いのだけれど、
やっぱり、一人や一つのコミュニティに偏っていてはダメで、
サプリのようにバランス良く組み合わせて、自分の心の平衡を保つことが、大事

 

それは相手が悪いから、ということではなくて、
私に相手の全てを受け止められるような大きな器がないからなんだ、と戒めつつ

 

帰り道、ふと思ったのは、
また「やらばければならないこと」に追われて、
「私のやりたいこと」をおろそかにしている、ということ

 

ここ五年間では全く気づけなかったけれど、
私はやっぱりどんなに追い込まれた状況に陥っていたとしても、
好きなことを諦めてはいけないのかもしれない

 

案外、二兎を追っている時の方が、精神的余裕は突き抜けている
それはきっと「自己」が生きているから

 

まるで“理性らしきもの”に追われていた昔の私は、
それに促されるまま盲目的に前に進んでいたようで、
実は呼吸さえもままならなかったのかもしれない

 

高校三年間の記憶が驚くほどすっぽり抜けてしまっているのは、
多分そういうこと

 

また“理性らしきもの”の奴隷になって、
意味もわからぬままこき使われるのは、もうごめんだ

 

このまま、ここで腐っていたくないよ