3日のところで書き忘れてしまったのだけれど、街を歩いていると
「〇〇学校 入学試験会場」
なんて仰々しい看板をいくつも見かけて
ああ、今日は多くの小学生にとって決戦の日なんだな、と自分のときを思い返していた
冷静に考えて博打に近いような日程だったのだけれど、あのときは絶対行けるという自信があって
今思えば、あのときが人生で最高に自信が持てていた日なんじゃないかしら、というくらい
そして卒業式では「ドイツで弁護士になる」なんて、小学生らしからぬ、けれどいかにも小学生な発想でそんな将来の夢を発表したのだっけ
あなたは、一応法学部に行くし、法律の授業はそこそことるけれど、全く違う道を辿っているよ、と苦笑いを浮かべたのと同時に、
でも、やっぱり全然変わってないんじゃないか、とも思った
本の世界に魅了されて、その業界の端っこに席を置いて、仕事をしていて、
モノ好きなのも、相変わらずで、
なにより、無目的にベルリンに“帰りたい”と思い続けている
(でもそのために、スウェーデン語を勉強しているなんて言ったら、どんな顔をするだろう)
そのベルリンが、少し変わろうとしているのかもしれない
今日、アートキュレーションのディレクターの人とのオンライン対談で
昨今のパレスチナ事情の影響で、最もアートと文化の保護が手厚くて、寛容だといわれていたドイツという土壌がボロボロになってしまっているということ、
愛知トリエンナーレで顕になった“不寛容性”にも関わらず、その問題について何の不自由もなく発言をできるのが、他ならぬ日本だということを聞いて、
絶対的な自由なんて、世界のどこにも存在しないんだな
分断と混乱の火元からの相対的な距離でしか、自由は測れないんだな、とかなしくなった
だから、妄想ばっかりが膨らんでいる気がするのはわかっているし、今日だってやっぱり絶望したのに、
それでもやっぱりベルリンに戻りたいのは、
一体全体、どうしてなんだろうね